2019年11月 No.108 

今回の特集は、文化遺産と塩ビの関わりがテーマ。塩ビと聞いて文化遺産を連想する人は少ないかもしれませんが、歴史的文化財の一部として塩ビ製品が使われた例は意外に多く、今後も様々な可能性が秘められています。東京大学大学院工学系研究科の野口貴文教授は、世界文化遺産・軍艦島(端島)の建築物保存に取り組む建築材料研究の第一人者。廃墟を廃墟のままに保存するという高難度の挑戦に、果たして塩ビの出番はあるのか。まずはその可能性についてお話を伺いました。

特集 文化遺産と塩ビ インタビュー

世界文化遺産・軍艦島の建築物保存に取り組む

東京大学大学院 工学系研究科
教授 野口のぐち 貴文たかふみ
野口 貴文
西側から見た軍艦島
西側から見た軍艦島。建築物は西側にほぼ集中している。©tkysstd.com

軍艦島とは

 長崎市の南西約18kmの沖合に位置する島。正式名は端島(はしま)。海上から望む島影が軍艦に似ていたことから、軍艦島と呼ばれるようになった。明治から昭和にかけて海底炭坑の島として繁栄し、最盛期の1960年代には東京ドームの1.3倍ほどの面積(6.5ha)に約5千200人が暮らしていたが、1974年に閉山して以降無人化した。島内には、1916年に建設された日本初の7階建て鉄筋アパートのほか、7〜9階建てのコンクリート高層住宅など、建築文化の観点から貴重な建築物が数多く残されている。
 2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス:ユネスコの諮問機関)により、軍艦島を含む全国23施設が「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」としてユネスコ世界文化遺産に登録された。

建物があってこその軍艦島

─軍艦島は2015年にユネスコの世界文化遺産に登録されましたが、建築史的にはどんな価値があるのですか。
 実を言うと軍艦島の中で世界遺産に登録されているのは、明治期に作られた炭坑施設の部分であって、残念ながら建築物は入っていません。建築物の場合、明治期の木造やレンガ造の建物は、台風による堤防決壊などですべて失われていて、いま残っているのは、一番古い30号棟(築101年)も含めてすべて大正以降の建築物です。従って「明治日本の近代化遺産」という登録対象から外れてしまうわけです。
 とはいえ、建築物が軍艦島の価値と全く無関係というわけではありません。建物が無くなったら軍艦の形は無くなってしまいます。つまり、建物は軍艦島の軍艦島たるシルエットを作り出し、文化遺産として登録された炭鉱施設のオーセンティシティ(真正性)を擁護する役割を担っていると言えるわけで、国際記念物遺跡会議(イコモス)も、登録に当たって建築物の保存計画を立てるよう指示を出しています。
 また、軍艦島は2014年に国の史跡として登録されていて、島内に存在するものは瓦礫類に至るまで、無闇に手を加えたり片付けたりしてはいけないことになっています。
 というわけで、それ以前から軍艦島の保存事業に取り組んでいた長崎市の委託を受けて、我々の建築物の調査がスタートすることになりました。

竪坑、貯炭場などの炭鉱施設が集まる東側。©2018 野口貴文
まさしく軍艦のイメージ。竪坑、貯炭場などの炭鉱施設が集まる東側。©2018 野口貴文

劣化が進む建物群

─調査開始から10年近く経過していますが、建物は今どんな状態になっているのですか。
 だいぶ劣化が進んでいます。軍艦島は台風の多い所で、海水で島全体が覆われるようなことも珍しくありません。このため、窓ガラスが割れて海水が入り込んでくるような場所は、放っておくと畳や根太が腐って、床が抜けてくる。コンクリート自体は劣化しませんが、中の鉄筋が海水の浸透で錆びて膨張し、コンクリートにひび割れや剥落が起きています。そういう所が何カ所もあります。
 例えば、1961年に増築された端島小中学校7階の講堂は、ペントハウスのような鉄骨造で、初めて行ったときはまだ中に入れたのですが、今では鉄骨が錆びて崩れてしまってもう入れません。日本最古の高層鉄筋コンクリート住宅である30号棟は、柱は残っていますが、床はほとんど抜け落ちています。屋上のアスファルト防水は、上にコンクリートの薄い板を敷いて直接日光を避けているため、まだ防水機能が残っていますが、コンクリートが破損した部分は紫外線と熱の影響で機能が失われ、海水が浸み込んで内部の鉄筋は腐食しています。

劣化が進む日本最古の鉄筋コンクリート 30号棟 ©2018 野口貴文
劣化が進む日本最古の鉄筋コンクリート 30号棟 ©2018 野口貴文
 

施行後60年の塩ビパイプ

─プラスチックや塩ビ建材などは使われていたのでしょうか。
 1970年代以前の建築ですから、プラスチック類の使用はごく少ないです。配管材は窯業系のものと鉄鋼系のものが多く使われていました。雨樋はもともと使わない設計になっています。樹脂系の材料で目についたのは塩ビの配管で、1958年建築の端島小中学校(70号棟)の屋内などでは、当時のままの状態で残っています。変色が見られる箇所もありますが、素材自体はそれほど劣化していません。
 全体として、セラミック系とコンクリートは耐久性が強いと言えます。一番強かったのは高温焼成のタイルで、色も材質もまるで施工時のままのようです。ガラスも透明性は落ちているものの、まだ持ちこたえています。屋上防水用のアスファルトも、先ほど申し上げたとおり、直接日光が当たらない部分はまだ機能が残っています。

塩ビ配管 ©2019 野口貴文
塩ビ配管 ©2019 野口貴文

改修本番に備えて各種実験進行中

─具体的にどんな手順、方法で保存するのですか。
 基本的には、軍艦島を軍艦島たらしめているオーセンティシティの高い順にやっていくことになります。従って、外観に影響を与える、視認性の高い所が中心になりますが、長崎市から委託されたのは、優先順位として、①1959年の建築で最も年数の少ない3号棟、②1918年の建築で30号棟に次いで古い16号棟、③島内最大の建物である65号棟の南棟(1958年建築)の3棟について、劣化や地震による倒壊を防ぐ方法を提案してくれということでした。我々はこれを受けて、日本コンクリート工学会に委員会を設け、補修(長持ち)、補強(耐震)、施工(工事の進め方)、という3つのワーキンググループを作って調査を進めたわけです。
 現在、受託委員会の活動を引き継いだ共通試験WGが暴露実験に取り組んでいます。将来補修をするに当たってどんな材料や工法が適しているのかを見極めるためのもので、外観上は何も起きていない健全なコンクリート部材、表面のコンクリートがひび割れた部材、鉄筋が露出している部材の3段階に分けて、20数社から補修材料・工法を提案してもらい、それらの効果を観察しているところです。
 それと、鉄筋の錆びをストップする方法として電気防蝕(鉄筋に電流を流すことで酸化を食い止める方法)を提案しており、島の北端にある病院棟の屋上に太陽光パネルを設置して実験を進めています。コンクリート部材の実験もここでやっています。
 なお、30号棟については、最古の建築なので何とか残したかったのですが、最早修復不可能ということで、保存は諦める方向に決まりました。ただ、劣化による建物の倒壊というのは前例のないことなので、壊れ方のメカニズムを明らかにするために、センサーを各所に付けてモニターしている最中です。

劣化試験の模様 ©2019 野口貴文
劣化試験の模様 ©2019 野口貴文

塩ビにも出番が

─今後、建物の改修工事の中で塩ビの出番はあるのでしょうか。
 室内側の保存に関しては、塩ビやプラスチックの役割も出てくると思います。室内は外から見えない場所なのでオーセンティシティはそれほど高くない。それなら、プラスチックのシートなどを使って床、天井も含めて、防水のためにカバーするという手もあり得るのでは、というわけで、取りあえずポリウレア樹脂の使用を推奨しました。非常に強靱で伸びのいい樹脂なので、それを薄いシート状にして防水と補強を兼ねたライニング材として利用してはどうかと提案しています。
 塩ビについては、室内のコンクリート表面を覆う防水材や配管として使えると思います。塩ビシートで室内を防水し、外から入ってくる雨水や海水を集水し、上階から下階まで室内に通した塩ビ配管で排水してしまえばいい。45年間以上放置されたままでも劣化していないので、十分に使えます。
 建物の改修工事は、世界遺産の部分(護岸含む)の後になるので、まだ開始時期の見通しは立っていません。いずれにしても、廃墟感を生み出すシルエットを現状のまま保存するというのは、ある意味で無茶な、しかし大きなチャレンジです。予算の関係もあって、全部の建物を改修し終えるのに100年掛かるかもしれません。有効な素材の開発など、塩ビ業界はじめ産業界の協力を期待しています。

東京大学大学院工学系研究科 教授 野口貴文