2007年6月 No.61
 

環境にやさしい建築・解体をめざして

建築廃棄物リサイクルの先駆者が語る
「解体こそ資源循環のスタート」

明治大学理工学部建築学科 教授
サステナブルコンストラクション・ラボ 所長 菊池 雅史 氏

●建材リサイクルの30年選手

  ぼくが建築廃棄物のリサイクルの研究を始めたのは、オイルショックの翌年、1974年のことです。「ほんとですか」とよく言われるんですけど、大げさじゃなく、気がついたらいつの間にかリサイクルの30年選手ということになってしまいました。
  まずコンクリートから始まり、木材、石膏ボード、ガラス、塩ビ建材(床材)と順々に進んできて、一方では高炉スラグや銅スラグ、フライアッシュといった工業副産物の再資源化技術の開発にも取り組みました。言ってみれば業界が手を着けなかったことを先取りしてやってきたような恰好ですが、それらの研究成果は今では殆どすべてが実用化されています。
  こんなことを言うと、先見の明を自慢しているみたいに聞こえるかもしれませんが、実はそうじゃないんです。ぼくはいっぺん外の会社に勤めてから学校に戻ったんですけど、それがちょうどオイルショックの直後で、資源節約のためにリサイクルをしなければということは既に当時の社会の大きなテーマになっていた。それで担当の教授がぼくにコンクリートのリサイクルをやれと言うんですけど、最初は正直、何でおれがゴミなんかやらなくちゃいけないんだと思いましたね。でも、いざやり始めてみたらとても面白いし、世の中に先駆けてやっているという自負も出てきて、ともかく、こうしてリサイクル一筋でくることになったわけです。
  ただ、ここまでやってこれたのは、学生がぼくの研究に目を向けてくれたということが大きいですね。菊池の所でこれをやりたいといって学生が集まってくる、やってみると面白いから大学院に行くということになる。そうなると、無理矢理にでもテーマを考えて学生に与えてやらなければしょうがないですからね。それでコンクリートをやったり石膏ボードをやったり、時には国のプロジェクトなんかと噛み合ったりしながら、そんなことの連続でずうっと動いてきたということです。

●環境影響評価システムの開発

  ただ、世の中にはなかなか認められませんでした。なんで認めてくれないんだろうといろいろ考えて、当初は世の中の認識が甘い、それとうちの研究室が走りすぎた、ということで納得していたんですが、あるとき、世の中は技術では進まない、システムを作らなければ、ということにハタと気がつきました。システムを作ってその中に技術を盛り込んでいけば、耳を傾けてくれる人も出てくるはずだと思って、それが「建築物のライフサイクルにおける環境影響評価システム(LCA)」(以下、環境影響評価システム)の開発につながりました。1989年ごろのことです。
  それと、そのころから、ぼくの部屋に環境をやりたいという女の子が入ってくるようになった。変な言い方ですが、「これはしめた」と思いましたね。ちょうどバブル経済の真っ盛りで、ごみなんか出したって何が悪いという風潮の時代です。そんなときに女子学生が環境に関心を持つということの意味はとても大きいと思いました。で、ぼくははじめにはっきり言ったんです。「いま環境といっても誰も耳を傾けない。きみたちは捨石になれ。但し、君たちの子供が育つ頃、これはあなたたちが生まれる前から私がやっていたことなのよと自慢できるぞ」そう言ったら、みんなちゃんと納得してくれました。
  それから、まずシステムづくりのためのデータベース集めに取り組み、次の年の女の子がさらにその作業を受け継ぐといった形で研究を続けていきました。「まだ向こう岸には深くて渡れないが、去年の学生はここまで石を積んで浅くしてくれたから、君たちはここまで埋めろ」なんて言ってね。世の中がようやく菊池のシステムは面白いと言ってくれるようになったのは1995年ころからです。そのころから国や(財)建材試験センター(建設材料や建築設備などに係わる試験、システム審査、調査・研究などを行う機関)などがぼくの作った環境影響評価システムを採用してくれるようになってきました。

●世界初の「環境解体設計システム」

  環境影響評価システムに続いて取り組んだのが環境解体設計システムの開発です。これは、資源循環と環境負荷の低減に配慮した建築物の解体を行うための精密な設計図に当るもので、これと同じものはまだ世界のどこにもありません。そもそもは青山謙一さん(前潮建築設計事務所会長、現東亜道路工業(株)常勤顧問)が提唱した考えを、ぼくのところで具体的にシステム化したものです。
  青山さんという方は、旧東京都庁舎や旧群馬県庁舎などの解体工事・建て替え工事で解体設計の実施・指導に携わった真の先駆者といえる人で、ぼくは群馬県庁の解体工事を通じて知り合ったんですが、当時既に70歳近かったでしょうか、「これからどうするんですか」と聞いたら「設計事務所の会長で終わる」というので、「それじゃあまりにもったいない。あなたのやっていることは世界であなた一人しかやれない。あなたが元気なうちにあなたのノウハウを全部ぼくが吸い出してあげます」と言って、それ以来長いお付き合いをさせていただいています。
  建物のライフサイクルを考えると、まったくの新築は別として、まず最初にくるのが解体であって、解体こそすべてのスタートなのです。日本では毎年新築着工床面積の約15%に相当する建物が解体されるのに、解体工事の環境面、資源循環の視点は社会的にも学術的にも殆ど考慮されてきませんでした。しかし、建設廃棄物の中で最も多いのが解体系なのですから、ここをきっちりしないで循環型社会なんてほんとは言えるはずがない。環境解体設計システムでは、土壌汚染などの環境安全性の調査にはじまって、解体による建設廃棄物発生量の算定、解体工事費、分別、中間処理、二酸化炭素排出量の算定、3Rの推進まで、すべてを評価して解体設計を組み立てます。つまり、それによってトータルでいちばん環境負荷を少なくするにはどうするかを見るわけです。例えば解体工事で多少環境負荷がかかっても、中間処理の段階で負荷を減らすことができれば、トータルとしては環境配慮型の解体設計と評価できます。環境問題では、こうしたトータルなものの見方が大事なので、1個1個の点だけで評価しても仕方がないと思います。
  1998年からシステムの開発に着手して、完成までおよそ8年。先の環境影響評価システムと併せて解体〜建築までの行為を総合的に評価できるシステムのプロトタイプを構築できたことは、サステナブルコンストラクションを推進する上でとても意義のある取り組みだったと思います。
  もっとも、この研究も最初はあまり相手にされませんでした。その後、経済産業省が興味を示してくれたお陰で関東経済産業局から資金が出たりして、民間、行政の資金を含めて合計1億1千万円の大プロジェクトに成長したわけですが、そんな中でシステム構築の基盤となったのは、2001年に明治大学の駿河台校舎を解体設計するときに環境解体設計システムを活用してもらったことです。いまその跡地にこのサステナブルコンストラクション・ラボがあるアカデミーコモン(明治大学の生涯学習棟)が建っています。そのほか生田校舎の建て替え工事などで合計3万7千m2、明治大学の建物を解体設計しました。こうした取り組みをきっかけにシステムへの注目が高まってきたわけですから、やらせてくれた大学の支援、協力にはほんとうに感謝しています。


竣工建物(明大アカデミーコモン)


解体工事

●塩ビ建材リサイクルの取り組み

  塩ビ建材のリサイクルに取り組みだしたのは、やはり1998年ごろからです。実を言うと塩ビ建材についてぼくはあまり知らなかったんですが、当時は塩ビへのバッシングが激しくなってきたころで、そのことがヘソ曲がりなぼくのファイトを掻きたてたというのがほんとのところです。
  新聞でも何でも、ひとつの欠点をよってたかって徹底的に叩くことがぼくは大嫌いなんです。欠点だけを叩いて過去の功績や良い点まで抹殺するのはとてもおかしいと思うし、叩かれれば叩かれるほど、その叩かれているものを救うのがぼくの役目だとさえ思っています。それで、塩ビだって悪いところはあるかもしれないが、いいところもあるに違いないと思っていろいろ調べてみたら、調べれば調べるほど塩ビが優れた材料だということがわかってきました。用途の適不適はあるけれど、枯渇性エネルギーである石油を少ししか使っていないし、プラスティックのなかで最もマテリアルリサイクルに適している。そんなことがわかってきたら、やっぱり世の中の認識が間違ってると思えてきたのです。
  最初はタイルカーペットのリサイクルに取り組んでいる(株)御美商(東京都葛飾区)の活動を支援するためにいろいろと協力しました。とにかく、はじめて御美商の工場を見たときはとてもびっくりしましたね。タイルカーペットはリサイクルの難しい製品ですが、そこから塩ビのバッキング層を高速回転する卸し金の歯のようなもので細粒状に削り取って再商品化するという、その発想と切削技術。それと製造設備がコンパクトである点も魅力でした。設備がコンパクトだと増設もメンテナンスも楽だしエネルギー消費も少なく騒音もあまり出ない。これは何とか世の中に紹介しなければと思いました。 現在は、御美商と連携してタイルカーペットリサイクルプラントを立ち上げたアールインバーサテック梶i東京都江東区)と一緒に、塩ビの材料設計法の研究を続けています。これは塩ビ床材や壁紙、シート類など、可塑剤の量や添加物が違う廃材でも、細粉化して一定の配合比を決めれば、必ずJISの性能を満足するコンパウンドにリサイクルできるという方法で、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の助成事業(マッチングファンド)になっています。
  何で菊池がそんなことに手を出すのかという人もあるかもしれませんが、確かにプラスティックのことはよくわからないけれど、コンクリートリサイクルの材料設計でずっとやってきたことと考え方は同じですから、まったく別なことをやっているというわけじゃありません。リサイクルしやすさという点でも塩ビとコンクリートはとてもよく似ています。コンクリートはあらゆる建設資材の中でいちばんあっさりしている、つまり循環性の高い材料ですが、塩ビもそれと同じぐらいあっさりしていて汎用性があると思います。
  だから塩ビ業界も「塩ビは悪くない」という一方的な論理ではだめ。そうじゃなくて塩ビのいいところをもっと言わなければ仕方がない。

●研究者も「社会との連携」が大事

  これからの建築学会の課題を考えてみると、「トータルでものを見る」ということがとても大切になってくると思います。生意気なことを言うようですが、大学の先生というのはとかく研究のほうだけに特化してしまいがちで、世の中全般の動きをトータルで見ている人が少ない。これからは研究者ももっと実社会の人たちと胸襟を開いて話し合うべきです。彼らが何に困っているのかに耳を傾けて、「それならこっちの持っているデータベースで協力できますよ」と提案できるような、そういったスタンスが必要だと思います。
  自分の意見を押し付ける前に人の話を聞く、というのがぼくの基本的な姿勢です。業界の多くの人がぼくの研究に協力してくれるのも、「先生は自分たちがこうしたいと思っていながら具体的に描けずにいたストーリーを描いてくれるからだ」と言ってくれます。 いろいろな人の話を聞くと問題の本筋が見えてきます。リサイクルは回収が大事といった一般的なことは誰でも言えるでしょうが、回収の何がどう問題なのか具体的に裏筋まで知っていないと、業界の人とは話ができません。
  とにかく、もっとトータルでものを見て社会連携を大事にすること。明治大学は教育、研究、社会連携を重んじる大学で、社会連携を忘れた研究者は使い物にならないと言われるくらいです。
  それともうひとつ。「建築解体は建設工事の一環である」ということをぜひとも建築学会の研究者全員に知ってほしい。建築というのは国民総生産の10%を占める巨大産業ですが、その10%が社会に及ぼす影響は好悪半々です。だからこそ、建築学会としては「持続的な社会を築くために何をしなければならないのか」という点に根底をおいて活動しなければならならないわけですが、そうなると今いちばんの問題となっている解体系廃棄物の処理、ここから環境配慮型にしていかないと何も始まりません。要するに、解体こそ建設のスタートなのであって、循環は解体から始まるということです。
  循環型とかサステナブルとか言葉だけはあちこちで使われていますが、それはどうも一般的な用語として使われているに過ぎないようで、明確な理念を持ってそれを言う人は殆どない。生意気な言い方ですが、そこが30年選手と15年選手、5年選手の違いなんです。30年以上、一生懸命資源の循環に取り組んできましたが、単なる再資源化の技術から始まって環境解体設計システムへと一皮むけるまでに15年かかった。このことの意味をわかってほしいと思います。

略 歴
きくち・まさふみ
  工学博士。所属学協会:日本建築学会 日本建築仕上学会(会長) 等
  1942年生まれ。1966年明治大学理工学部建築学科卒業、1968年明治大学大学院修士課程修了。日本サーモコン(株)を経て1975年明治大学工学部専任助手、1995年同理工学部助教授。2000年から理工学部教授に就任。日本における建設廃棄物・工業副産物リサイクルのパイオニアであり、「継続は力なり」「アバウト イズ ベター」「先に大言壮語を吐き、その後必死に辻褄を合わす」など独自のポリシーを持つ。日本建築仕上学会賞、石膏ボード賞功労賞、日本建築学会賞、日本建材・住宅設備産業協会功労賞など受賞歴多数。主な著書に『材料設計用教材』(共著/彰国社)、『解体工法と積算』 (共著/(財)経済調査会)、『大学課程 建築材料』(共著/オーム社)などがある。