2002年12月 No.43
 
内分泌撹乱化学物質―研究の現状と課題―

  研究体制づくりへ各国が協力。
  望まれる「科学に基づくリスクコミュニケーション」

   国際純正応用化学連合(IUPAC) 環境問題上級顧問    
   (財)化学物質評価研究機構 安全性評価技術研究所 技術顧問
                   理学博士 宮本 純之

●サイエンスの裏づけが不可欠

 
 内分泌撹乱化学物質については、1997年に開かれたIFCS(Intergovernmental Forum On Chemical Safety。1992年のリオ・サミットでまとめられた「アジェンダ21」に基づいて設置された化学物質総合管理のための各国政府間会議)の第2回オタワ会議で、アメリカが過大にこの問題を取り上げて世界的な反響を呼んだことを覚えています。
 この会議には私もIUPACから科学アドバイザーとして参加していましたが、内分泌撹乱化学物質の問題はまずサイエンスの裏づけをきちっと確認することが大事だというのが私の考えで、会議でもその旨を発言して、最終的にその時の報告には科学的に何をまずしなければならないかが細かく明記されることになりました。その後、日本でも本格的な研究が始まり、マスコミの注目も高まって今日に至っているわけです。
 このように、内分泌撹乱化学物質の問題は最初からかなり社会的、政治的要素を含んで動いてきたと言えますが、社会的に大変な環境問題とされているものの中には、科学的によく見てみると本当に大変なものとそれほど大変でもないものとがごちゃ混ぜになっていて、行政が対策をたてるためにもサイエンスの裏づけが欠かせません。最近の日本では、内分泌撹乱化学物質に関する限りその必要性がようやく認識されるようになり、行政上の措置も取られるようになってきたため、問題がやや沈静化の兆しを見せはじめてきたという状況だと思います。
 

●野生生物における内分泌撹乱作用の事例

 
 内分泌撹乱化学物質の定義にもいろいろありますが、OECD、WHOなどが1996年の暮れに行った議論のなかでは、「化合物が内分泌系に影響して変化を生じさせ、その結果その世代もしくは次世代に健康被害が及ぶ」ということを凡その定義としており、私もこの考えに賛成です。
 そういう定義に基づいて見ると、内分泌撹乱化学物質としての因果関係が割合はっきりしているのは人間よりもむしろ野生生物のほうです。これも細かく見ていくと断定できるものとできないものがありますが、私が見てほぼ間違いないだろうと思われるのは、DDTによる鳥類の生殖・繁殖に対する影響、船底塗料として使われる有機スズ化合物(TBT)がある種の貝をオス化する問題などです。フロリダ州の湖に棲むアリゲーターのメス化の話も有名で、日本では「環境ホルモンが人類の将来を危うくする例」として盛んに引き合いに出されますが、この湖は近隣の製造工場の排水や農薬が流れ込んで非常に汚染されているために、何が本当の原因物質かは必ずしも明確になっていません。西オーストラリアで1930年代から認められている羊の生殖障害の事例はクローバーの多食による影響であることが分っています。これはマメ科の植物に含まれる植物エストロゲンが原因です。
 そのほかにもいろいろと言われていますが、因果関係はまだはっきりしていません。野外の生態系における影響因子というのは特定が難しく、室内の実験で認められた影響が野外でも同様に再現されていると確証することは容易ではありません。しかし、ともかくも野生生物については、内分泌撹乱化学物質との因果関係がはっきりした例として今挙げたようなケースが存在しているのに対して、人間の場合は明確な実証例がほとんど存在しないというのが現状です。
 

●人間の精子減少データへの疑問

 
 内分泌撹乱化学物質の人間に対する影響としては発ガン性や生殖障害などが指摘されていますが、いちばん有名なのは精子の数が半世紀で半分に減ったという調査データでしょう。想像するに、この話とさきほどのアリゲーターの話などが結びついて、シーア・コルボーンの『失われし未来』に見られるような「人類滅亡の危機」というストーリーになってしまったのではないでしょうか。
 しかし、このデータは精子をどういう条件で採取したか、どういう検査法を用いるかなどによってずいぶん結果が振れてきます。
 このため、あのデータについてはもう一度再検討しなければならないというのが国際的な常識になっており、現在、採取条件や検査方法を同一にした研究プログラムが進められています。
 そういうわけで、人間に対する内分泌撹乱化学物質の影響は、わずかな事例を除いて(妊娠初期の流産防止に使われていた合成女性ホルモンの一種DESが出生女児の思春期に稀に膣ガンを発生させたケースなど)、具体的に実証できていないのが現状で、内分泌撹乱化学物質というものが実際に存在することは間違いないとしても、一般に喧伝されているほど恐ろしい状況にはなっていないと考えていいのではないかと思います。
 

●リスクをどう伝えるか―コミュニケーション・ギャップの問題

 
 コルボーンの『失われし未来』が人々の注意を喚起したという点で大きな意味を持っていたことは確かですが、メディアでの扱われ方がセンセーショナルに過ぎたし、事実に反する点も認められます。
 例えば、フタル酸エステルとかビスフェノールAなどについては実験室の中で試験をした時にそれらしい関連データが出てきたということであって、それが私たちの身の回りにたくさんあるということが結びついて、「DDTやPCBなどの残留性の高い有機塩素化合物のほかにも危険なものがあるじゃないか」ということになったのだと思います。
 つまり、リスクというものをどういうふうに捉えてどう伝えればいいのかという問題がここで出てくるわけです。内分泌撹乱化学物質の問題はある時点で急激に注目されるようになったため、昨日までは専門外だった人も含めておおぜいの研究者が我も我もと競うようにいろいろな研究を始めました。しかし、研究というのはやれば何かしら結果が出てくるもので、時には誤解もあるし誇張したもの言いになる場合も出てきます。
 中には、学会で発表する時には冷静な報告をするのに、世間に向けて同じことを言う時には極めてセンセイショナルな言い方をするといった研究者もいないでわけはありません。メディアの問題はひとまず置くとして、研究者の誇張した説明によってリスクが不当に増幅され、ただでさえ不安を抱いている世間に過剰な不安を広げていくといったコミュニケーション・ギャップの問題は今後の科学にとって大きな問題になるだろうと思います。
 

●日米欧における研究の現状

 
 内分泌撹乱化学物質については、いろいろな幅、いろいろな深さで、日米欧各国が研究を行っていますが、膨大な量に達する化学物質のひとつひとつについて内分泌撹乱作用があるかどうかを調べるのは現実的には不可能です。このため、調査対象とする化学物質にプライオリティーをつけて、より簡便に的確な結果を出せるような試験方法の体系づくりを、OECDを中心に日米欧の科学者が集まって数年がかりで進めています。6月には日本でその会議が開かれましたが、作業が終わるまでにはまだもう少し時間がかかる見込みです。
 日本国内でも経済産業省や環境省など多くの省庁で研究が行なわれていますが、多少ウエイトの違いはあるものの、各省庁バラバラに研究しているというわけではありません。OECDの専門家会議にも各省から担当者が参加していますし、私個人について言えば経済産業省の「内分泌かく乱作用検討小委員会」の委員長と同時に環境省の「内分泌撹乱化学物質問題検討会」の委員も務めています。
 経済産業省の小委員会で今やっていることは、ひとつはOECDとの協力、もうひとつは環境省がリストアップした例の「内分泌撹乱作用を有すると疑われる化学物質のリスト」67物質の中から、15物質についての検討・解析などです。環境省も似たようなものですが、どちらかと言えば野外生物、特に魚類の研究にウエイトがかかっています。
 ちなみに、環境省が67物質をリストアップした科学的根拠について私は必ずしも賛成していません。2000年11月版のリストでは、「これらの物質は内分泌撹乱作用の有無、強弱、メカニズム等が必ずしも明らかになって」いないことが注釈として明記されているのに、標題が依然として「内分泌撹乱作用を有すると疑われる化学物質」となっている点もおかしいと思います。今後科学的知見が増えるにつれて、あのリストの中から除外すべき化学物質が増えてくると考えています。
 

●SCOPEとIUPACのジョイント・プロジェクト

 
 さらにもうひとつ、ICSU(International Council for Science=化学や物理学など自然科学の分野別に組織されている25のインターナショナル・ユニオンの連合体)の一部門であるSCOPE(Scientific Committee on Problems of the Environment)とIUPACとのジョイント・プロジェクトとして2000年の4月からスタートした内分泌撹乱化学物質に関する国際プロジェクトの責任者としても、私はこの問題に関わっています。
 SCOPEは、温室効果だとか熱帯林の伐採、核実験といった人間の活動が自然環境や人間の健康に及ぼす影響などを研究する組織で、科学的な知見をベースに政策決定の立場にある人々に対してどういう勧告をして、リスクマネージメントにどう役立てるかということも含めて研究を行っています。
 IUPACとのジョイント・プロジェクトは、(1) 内分泌撹乱化学物質と疑われる物質の作用機構の解析、(2) 野外に出ていったときの分解・消失の分析、(3) 人間あるいは哺乳動物に対する毒性データとリスクアセスメントの検討、(4) 野生生物に対する毒性の検討、など大まかに4つのテーマについて各分野の世界的な研究者が集まってレポートを作成するもので、今後の内分泌撹乱化学物質対策を考える上で極めて重要な役割を担っています。
 現在ドラフト段階のレポートが出来上がっていますので、今年11月に横浜で開催される「内分泌撹乱物質に関する国際シンポジウム」においてその内容を発表し、参加者の意見を参考にして、来年中には最終レポートをまとめる予定です。その後、各国政府およびWHO、ユネスコ、さらに冒頭に申し上げたIFCSなどに勧告を行なうことになります。
 

●過度な不安視は無用

 
 もっとも、内分泌撹乱作用とは別に、人間に対する悪影響がはっきりしていて緊急に対処しなければならないというものは今現在でも規制することは可能です。
 農薬や一部の医薬品、添加物などについては、2世代の繁殖性試験や毒性試験などこれまでも多くの実験データが集まっていますので、問題がはっきりしているものはピックアップして行政的な措置を取ることができます。まず動物実験をやって、人間に危険なレベルはこの程度、それに対して人間が被曝しているのはこの程度で、その量のほうが多くて将来問題があると分かった場合には、使用を規制したり使用法を変えたりすればいいわけです。
 世間では、内分泌撹乱化学物質として規制されている化合物があるように思われていますが、これは誤解です。例えば塩ビの可塑剤に使われるフタル酸エステルのあるもの(フタル酸ジ2−エチルヘキシル)については、塩ビ製の手袋などから溶出する恐れがあるので規制することになっていますが、これも内分泌撹乱化学物質としての規制ではなく、毒性試験の結果、溶出する量が乳幼児の許容摂取量を超える可能性があるから規制しようということです。現在調べられている範囲では、フタル酸エステルの内分泌撹乱作用はきわめて弱いと言っていいと思います。
 要するに、問題がある化学物質を規制することは現在でも可能なのですから、内分泌撹乱作用だけを特別視して神経質に不安がる必要はないということです。
 

●毒性は化学物質の本性である

 
 問題は、化学物質の毒性と危険性をごちゃ混ぜにしてしまうことです。いつも言うことですが、青酸カリも容器に入れて蓋をしておけば危険はない。なぜならエクスポジャー(曝露)が全然ないからで、毒性のある化合物がそこにあるということに過ぎません。
 つまり、どんな化合物でも毒性試験をやってみれば大なり小なりの毒性は検出されるもので、化学物質の毒性というのは、沸点とか融点と同じように化合物の持っている本性なのです。危険かどうかはエクスポジャーの量であって、毒性と危険性は別物と考えなければなりません。このふたつを混同して少しでも毒性が検出されると危険だと騒ぐのは間違いです。
 さらにいけないのは、専門の研究者までが、「この化合物は毒性があるから危険だ」とか、「鯨からも検出された。可哀そうに鯨が死んでしまう」といったモノ言いをすることで、それはあまりに言い過ぎじゃありませんかと私は言いたいわけです。
 中には「危険性はゼロでなければいけない」と言う人もいます。なるほどそれに越したことはありません。しかし、化合物の危険性をほんとうにゼロになどできるのでしょうか。例えば、塩ビの輸液チューブをガラスに替えたら危険はなくなるのか。むしろガラスのほうがより危険で不便ではないのか。プラスチックにしろ他の化学物質にしろ、便利で生活を豊かにしてくれるからこそこれだけ普及してきたわけで、役に立たないものならはじめから誰も使わないはずです。代替品がより安全だという確証があれば別ですが、目先だけ変えても意味がありません。
 

●化学メーカーが努力すべきこと

 
 ただ、毒性・環境データの収集という点で化学メーカーが努力を怠っていた、あるいはもっと努力すべきだということも事実として指摘しておかなければなりません。毒性・環境データの収集というのは非常に金のかかる作業で、合理化して商品コストを下げたいメーカーにとっては大きな負担になるかもしれませんが、いかに合理化するにしても必要不可欠なコストというものがあるわけで、毒性・環境データというのは今やそうした必須のコストと位置づけられるべきものです。
 化学メーカーは毒性・環境データの収集を自らの責任として行なうと同時に、そのコストを製品の価格に内部化するということについて社会的な合意を得る必要があると思います。どうもこのへんの議論をどこのメーカーも疎かにしているように見えます。
 最近はサイエンスに対する信頼性が低下しているようで、データをごまかしているとか、原爆を産み出したとか、いろいろ理由はあるようですが、これまでやるべきことはきちっとやってきたと思うし、近代科学だけでも16世紀から積み上げてきたものが一朝一夕で崩れてしまうとは考えられません。むろん、科学が万能だとは思いませんが、少なくとも社会の役に立つ大切な学問なのだということに自信を持って正々堂々と仕事をすること、しかも、古典的なケミストリーの範囲で物事を考えるのでなく、もっと広い視野で環境問題や持続可能な開発について自分なりの哲学を固めていくことが、これからの科学者にとって何よりも大事なことだと思います。
 

 

■プロフィール 宮本 純之(みやもと じゅんし)
京都大学大学院理学研究科博士課程中退。生化学、毒性学、環境科学専攻。理学博士。内分泌撹乱化学物質問題の世界的権威として知られる。
1957年住友化学工業(株)入社。宝塚総合研究所長、常務理事、顧問などを経て、1999年より(財)化学物質評価研究機構顧問に。経済産業省化学物質審議会委員、同省産業構造審議会臨時委員、環境省内分泌撹乱物質検討会委員などを歴任。また、1957年、国際純正応用化学連合(IUPAC)の委員に就任の後、同連合会化学と環境部会長を経て、現在環境問題上級科学顧問。旧ソ連邦農業科学アカデミー、ウクライナ科学アカデミー、アルゼンチン医学アカデミー、各海外名誉会員。日本農薬学会業績賞、同功労賞、アメリカ化学会ハーティックジャクソン国際農薬化学業績賞、科学技術長官賞、紫綬褒章など受賞歴も多く、関連分野の学術報告は、原著、著書、総説・解説などを含め約350編を数える。