1998年12月 No.27
 

2.鈴木継美・東京大学名誉教授の講演

〜『いわゆる「環境ホルモン問題」について』〜

 

  今年6月に設立された日本内分泌撹乱化学物質学会の初代会長を務める鈴木継美名誉教授の講演は、10月21日午後、港区の虎ノ門パストラルで開催されました。鈴木教授は、内分泌撹乱物質の定義、ホルモンの構造と作用メカニズム等の基礎知識、さらには問題発生の背景などについて詳しく解説した上で、研究の現状と課題、今後の学会の活動方針、産業界が取り組むべき課題などについて、以下のように述べました。

 

確証のないヒトへの健康影響

 ・極微量の内分泌撹乱物質により、非常に広い範囲でホルモン・バランスの崩れが起こるかもしれないということが心配されている。ただ、これまでのところ野生生物への影響では原因物質が特定されているものがいくつかあるが、ヒトの健康異常に関しては、何らかの化学物質が原因になったと明瞭に証明できる例は非常に限られている。
 ・しかも、そうした事例は、妊婦の流産予防などの目的で使われたDESという合成女性ホルモンによる副作用、作業現場での職業的な曝露、あるいは化学的な曝露の内容は不確かではあるが、ベトナムでの枯れ葉剤など、いずれも曝露した量が非常に大きいということがポイントであり、現在問題になっているナノグラム単位の極微量の影響との間がうまくつながらない。
 ・スカンジナビアでは精巣がんが増えているという報告があるが、日本では非常に少ない。乳がんが増えているのは事実だが、その原因がエストロゲン様の作用を含んだ化学物質によるとは断言できない。子宮内膜症や前立腺がんは多少増えているようだが、疫学的データの蓄積が少なく、統計的に処理できるほどのベースがない。
 ・一方では、前立腺がんが欧米人に比べて日本人に少ないのは、日本人が大量に摂取する大豆の中の植物性エストロゲンが保護的に働いているのではないかというレポートもあるほどで、こうした植物性のエストロゲンと環境由来の人工的な内分泌撹乱物質の働きの違いも今後の研究課題と言えるだろう。
 

 

化学物質の複合曝露の研究が必要に

 ・デンマークの研究グループが人間の精子の減少を「環境汚染化学物質が原因」という仮説を出してから、この問題をめぐって非常にかしましい議論が、日本を含めて世界中で起こっているが、その後の各国の研究でははっきり減ったとも減っていないとも言い切れず、この仮説に対しては今のところ確実な情報は提出されていない。
 ・『奪われし未来』の著者であるシーア・コルボーン博士らが、1991年に化学物質の影響に関して開いた国際会議における合意文書では、(1)環境中に放出された多数の人工化学物質と少数の天然物質は動物(ヒトを含む)の内分泌系を壊す(disrupt)ポテンシャルを持つ、(2)いろいろな動物の個体群がすでにこれらの化学物質によって影響されている、(3)影響のパターンは、種により化学物質により異なる、といったことが述べられているが、ヒトに関しては非常に慎重で、「ヒトにおける曝露の影響の様態と程度はよく分かっていない」 「汚染物質の体内蓄積、特に胎児についての情報が少ない」 「測定可能なエンドポイント(曝露と影響のバイオマーカー)がない」 「実際の環境濃度に類似の濃度で、多世代にわたる研究がなされていない」 といったコメントが示されている。
 ・この文書がまとめられた時点と比較しても、我々の研究は未だにほとんど進んでいない。いろいろな化学物質が内分泌撹乱作用を疑われていることは事実だが、それが実際の環境濃度で、しかも1種類ではなく、何種類もの化学物質が入っている状況下で何が起こるかということに関する実験的な研究ができるのかという問題がある。これまでの毒性学は単品についての毒性学であり、化学物質の1品1品についてはいろいろ調べているが、複合した状況に関する対策は遅れてきた。しかし、現在のような状況では、複合曝露実験に関して取り組まなければならない段階に入ってきたと思う。n>

 

産官学の情報交換で具体策検討

 ・米EPAやOECDでは、特定の化学物質を取り上げ、そのホルモン様作用に関するスクリーニング計画を進めている。また、化学物質の性質や毒性について、いろいろなチェックシステムが各国で検討されており、日本でも環境庁が応急戦略を立てて環境モニタリングや生物学的モニタリング、野生生物の影響調査、さらには厚生省の仕事を補完する形でヒトの健康影響の調査、国際協力などを進めようとしている。
 ・そうした中で、今年の6月から日本内分泌撹乱化学物質学会が動きはじめた。この最大の狙いは、問題を解決するために、いろいろな領域の産官学のグループが情報交換を活発にしながら、なるべく具体的な対策につなげるような活動をしたいということだ。内分泌撹乱物質の作用の中で生殖毒性の問題に関心が偏っているが、重要なのは環境中に放出される化学物質の安全性をどう保障していくかという体制づくりである。
 ・環境庁が実施したPRTRのトライアルでも、対象となった170種類の化学物質がそれぞれ相当量放出されていることが分かっているが、これらの検出された化学物質について、例えば生殖毒性がどれだけ分かっているかというと、一部では情報が整理されつつあるものの、実際にはほとんど何も情報がないということになる。

 

産業界はリスクコミュニケーションを

 ・将来的に化学物質の問題を考えていく時には、環境に与えるいろいろな影響、性質を総合的に考えていかなければならない。これまでのように蓄積性、分解性、一般毒性だけでなく、諸々の性質を評価しなければならないし、毒性についても、例えば内分泌毒性を発端として起こるいろいろな出来事、あるいはその他の化学的な潜在毒性まで評価しなければならないと思う。しかも、前述したように単品のテストだけではなく、どのような場で何が起こっているのかといった、「場」を考慮した上での毒性試験が必要になる時代に入るのではないかと思う。
 ・(これから産業界が行うべきことは)リスクコミュニケーションがキーになる。「このような条件で実験した結果、このような結果が出た。その意味はこういうことだ」という形のリスクコミュニケーションがもっと広がっていくことが大切だと思う。マスコミに対しても、もっと積極的に企業から情報を提供することが必要だ。大事なのは科学をベースに議論をすることであり、「科学的に見ればこういうことだ」という立場を鮮明にすることは非常に大切なステップだと思う。学会としても、そうした科学的な情報をどんどん公開していきたい。