1993年12月 No.7
 
環境保全のための技術革命は時代の要請

     環境ジャーナリストからの1視点

 

  読売新聞社 開設部次長 岡島 成行

●地球サミットから学ぶもの

 
   昨年リオで開かれた地球サミットを機に、環境問題ほ討議する際の新たな視点として、「環境資源のあり方」が問題となってきた。CO2(二酸化炭素)削減問題では、アメリカやEC、日本は1990年レベルの排出量に凍結しようとしているほか、全体の排出規制をしようという動きがあるが、これに発展途上国から異論が唱えられている。エネルギーの使いすぎ、大気を汚染したのは先進工業国で、途上国に責任はないというものである。
  なかでも中国は、各国が現視点での排出レベルをもとに制限するのは不公平であり、基本的には人間一人当たりの環境負荷が同じレベルになるよう規制すべきであると主張する。そうなると、日本が2人に1台自動車を保有しているとすれば、中国は7億台保有できることになる。したがって、現在、人口の割には排出量の多い先進国ほど排出レベルの低減努力をしなければならない。これは現実的ではないが、もっともな論理だ。
  サミットでは、環境保全のための行動計画「アジェンダ21」を採択し、これに基づき各国は新たな取り組みを始めている。日本でも、環境保全に有効な経済的な手法やCO2を出さないエネルギーの開発などを盛り込んでいる。大きく分けて、わが国の行動計画は、消費形態の変更、大気保全など40章からなり、今年いっぱいかけて最終案がまとめられることになっている。このようにあらゆる方向から環境の制約が強まっている。
  いまや、環境汚染は“待ったなし”の状態だ。先進工業国は、従来のエネルギー使用のあり方、それに裏付けされてきた生活や価値観を見直すときを迎えている。しかし、それはやさしいことではない。人々の価値観や意識を変え、消費行動や生活様式をも変えていくにはしばらくの時間が必要だ。エネルギーの大量消費に依存した社会基盤ができ上がってしまっているからだ。
  先進国が“いま”の生活レベルを維持し、しかも、地球全体の環境負荷を現在以上に増やさぬためには、私、環境保全のための飛躍的な「技術革新」を行い、個人個人の意識改革を行っていくしかありえない、と考えている。
 

●環境問題の経営を根幹に据えた企業行動を

 
  ヨーロッパ、アメリカでは、市民運動が強く、地球にやさしい製品をつくるべき、というスタンスでさまざまな企業に経営方針の見直しを迫っている。これを受けて、各企業は苦しみながら真剣に環境対策を行っている。たとえばドイツでは1991年1月からすべての製品の梱包材をメーカーが回収しなくてはならなくなった。企業はいま、よりリサイクルしやすい梱包材の開発に必死だ。
  このように世界の先進的企業は真剣に取り組んでおり、日本の企業も早急な対応がなされない限り、いずれ国際競争力を失ってしまうだろう。環境問題を経営の根幹に据えた企業行動をとるべきときが来た、と認識すべきであろう。
  日本では環境対策を「仕方がないからやる」と思っている企業もまだまだ多い。このような受け身の姿勢、“後追い”主義では、確実に時代にとり残される。環境対策を推進する技術革命を前提とする経営戦略がない限り、20年いや10年先の企業の存続も危ういといっても過言ではない。
  廃棄物のリサイクルシステムの確立についても、バージン品の市況とのバランスとの関係もあり、経済性など多くの問題を抱えている。とくに、生活必需品に多く使われる汎用材料は単価が安いので、リサイクルのための費用を価格に転嫁させるのは非常に難しい。
  このように環境対策には、問題が山積しているが、とかくカネのかかる環境対策の技術開発などは、後手に回される場合もあるようだ。しかし、時代の流れは、そんな言い訳を許さないほど切迫している。企業、特にメーカーには、いままで以上に技術関係に力を入れるとともに、環境対策を考慮した製品開発に努力してもらいたい。
 

●市民運動と技術開発のつながり

 
   かつて、70年代に公害反対運動が巻き起こったとき、市民の強い要望で産業界が膨大な投資をして、SO2(亜硫酸ガス)を取り除く脱硫装置など公害防止技術の開発を進めた。こうした市民の圧力によって、わが国の産業界は世界の中でも先進的な公害防止技術をもつに至ったのである。
  このような技術開発が、日本の自動車メーカーをアメリカへ進出させたきっかけにもなった。高い技術力をもつ日本企業は、マスキー法と呼ばれる非常に厳しい排ガス規制をもクリアし、その結果として低燃費の車が開発できたのである。
  このようなメーカーの公害対策の歴史の中で、市民運動と技術開発は強いつながりを持ち、市民の声が環境対策技術の革新に反映されて来たといえよう。
 

●市民の声を環境対策の推進力に

 
  環境問題を含め、現在の日本の市民運動は、欧米に比べて脆弱な体質をもっており、企業への影響力は弱い。これは、日本に「市民」の概念が育っていないということもあり、日本の市民運動はこれからなのである。しかし、市民運動が弱い間は努力を怠り、欧米のように市民団体が強力に育ってから、環境対策を考え、技術開発に着手するのでは、もはや国際競争には勝てないだろう。企業の環境対策は時代の要請であり、この時代感覚を企業の方々にも養ってほしいと思う。
  そのためには、市民の声をよく聴いていただきたい。会社人間の目だけでは、社会や生活が見えてこないし、視野が狭くなってしまう。
  では、市民の声を聴くためには、どうしたらよいのか。企業が企業市民たるにはどうすればよいのか。
  たとえば経営システムの中に、企業内部だけでなく、社会や市民なども含む外部からの意見を取り入れる「社外重役制度」や「環境監査制度」を導入してはどうであろうか。環境対策は、社会のためだけにあるのではなく、企業経営存続のためにもある、という考え方に切り替える必要があるだろう。
  環境に影響を与える度合いによって、企業の環境対策は異なってくる。うちは、大気や水を汚す業態だから……など決して卑屈になってはならないと思う。どれだけ環境負荷を低減する努力をしたか、その度合いが問題なので、企業は環境努力を社会にアピールすべきではないか。飲料メーカーと製鉄会社とでは、おのずと環境への対処も異なるのである。
  鉄にしても塩ビにしても、世の中に必要な材料であれば、かりに環境への負荷が大きいからといっても、作らないわけにはいかない。環境への負荷が大きいか小さいかよりも、製造する企業がいかにその環境負荷をより小さくする努力をしたかどうか、が問われているのである。
  従来の成長優先の意識では、これからの社会に対応できないことは明白である。いま、まさにパラダイムが変わりつつあるときだ。そして、消費者は環境に鋭く反応しており、これからの潮流でもある。環境に視点を置いた、なおいっそうの技術開発への努力を企業に要請したい。そんなときに、塩ビ業界がリサイクル推進協議会を設立し、リサイクルシステムの確立にむけて動きだしたことは、注目に値する。努力が報いられない時代はないのである。
 

 

■略歴 岡島 成行(おかじま・しげゆき)
  1994年横浜生まれ。上智大学独文科卒業。1969年読売新聞社入社、90年5月より現職。著書・訳書に「アメリカの環境保護」(岩波新書)、「はじめてのシェラの夏」(ジョン・ミューア著、翻訳、宝島社)など。