2011年12月 No.79
 

●JIDA創立60周年

 (社)日本インダストリアルデザイナー協会(以下、JIDA)は、来年で創立60周年を迎えます。日本でインダストリアルデザインが成長したのは第2次大戦後のことですが、特に50年代半ばから60年代の高度経済成長期にかけては相当な規模で拡大しました。
 これにはちょっとした逸話があって、そのころ外遊先のアメリカから帰国した松下幸之助氏が、羽田空港で「これからはデザインの時代だ」と発言したことが急成長のきっかけになったと言われています。当時のアメリカでは、自動車産業、家電産業を中心に、デザインを差別化の要素と位置づけ、マーケテイングとデザインを一体にした新しい動きが始まっていました。そういう動きを松下さんが敏感に捉えて「日本でも」と感じられたのだと思います。
 ともかく、その辺りから当時の産業工芸試験所を牽引役として日本のデザイン界の育成が国策絡みで始まったわけです。発足時はわずか25人だったJIDAのメンバーも、現在では正会員550名、賛助会員も約100社にまで拡大しています。

●使命は「美しく豊かな生活の実現」

浅香氏がデザインした
デジタル血圧計

 一口にインダストリアルデザインといっても、その守備範囲はとても広くて、自動車、家電などの機器類そして、家具、クラフトのような多品種少量生産もの、さらには100円均一ショップで扱っているような雑貨類まで非常に多岐にわたっています。
 ただ、いずれにしても「人々の生活を美しく豊かにする」ということが我々の基本的ミッションであって、それを可視化するための技術なり知識なりを専門教育の中で学んでくるわけです。
 ですから、機器類については、技術屋さんが設計すると本当に機能的に動くものを作りますが、一方、我々デザイナーの場合は、人とのインターフェイスというか、使い勝手への配慮ということがより大切で、このへんに角があったらぶつかって問題になるとか、周囲の環境に馴染むためにはここに造形処理を施したほうがいいとか、そういうことを理解して提案するのが我々の仕事なのです。

■インダストリアルデザイン(industrial design)

 「工業デザイン」または「工業意匠」とも呼ばれる。産業・工業において美しさやユーザビリティ(使い勝手)を追求し、その結果として製品の商品性を高めることが目的。美それ自体を目的とする美術・芸術品とは区別される。(ウィキペディア日本語版から抜粋)

■(社)日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)

  1952年、インダストアルデザイナーの全国組織として創立(69年に社団法人化)。インダストリアルデザインの職能の確立と向上のために、全国のフリーランス、インハウス(企業内)デザイナー、デザイン教育者などが力をあわせて、日本のデザイン界と産業、社会、文化の発展のために活動を続けている。1957年には、国際組織である国際インダストリアルデザイン団体協議会(ICSID)の創立と同時に加盟。これまで会長、事務局長、理事の要職を担当し、73年、89年の2度にわたり、総会を誘致し成功させている。東京都港区六本木のAXISビル内に事務局がある。

●デザインに息づく日本文化のDNA

『日本デザインの遺伝子』展の記録
(JETRO刊)

 インダストリアルデザインの効用についてはデザイナーそれぞれで考え方が違いますが、私がよく言うのは、車に例えると技術力がエンジン、デザインはステアリングだということです。製品開発、ものづくりのベクトルを、いろいろな人とコミュニケーションを取りながら決めていくということが、新しい事業を喚起する意味でも、非常に重要なデザインの役割だと思っています。
 面白いのは、そういうものづくりの中でも、底流には日本ならではの技術や文化のDNAが息づいているということですね。ウォークマンが出た時はすごい衝撃でしたが、あれだって決して突然生まれてきたわけじゃなくて、「小さく機能を凝縮する」という日本文化のDNAを受け継いでいるのです。
 2006年に日本貿易振興会(JETRO)がタイのバンコクで開催した「日本デザインのDNA展」では、日本のデザインの底流に「小さく、薄く、軽くする」といったコンセプトが脈々と流れていることを紹介する企画が人気を集めました。江戸時代の印籠から始まって、トランジスタラジオ、デジタルカメラ、携帯電話へと進化してきた日本のデザインの遺伝子が理解できて、タイのデザイン関係者からもたいへん好評であったと聞いています。

●陽気なイタリア、律儀なドイツ ― 各国DNA比較

 そのほかにも、「気づき」とか「気配り」といったいろいろなDNAが、日本の製品には生きています。例えば、ドライバーの体格に合わせてボタンひとつでシートのポジションが移動する技術などは、日本の自動車メーカーが開発して今では欧州車にも取り入れられていますが、あれはまさに「おもてなしの心」です。
 ちなみに他の国はどうかというと、イタリアのデザインはとにかく陽気。そのベースにあるのが「人生楽しくなきゃ」という価値観で、そういう発想力と夢を可視化するのに長けた国ですね。一方、ドイツは律儀で製品の性能、機能に忠実なデザインが特徴です。北欧は自然と共生するというか、自然の素材の使い方がものすごく上手です。中国は何といってもサイズが違います。日本ではコンパクトでいいといわれるものでも、向こうではもっとスケールを大きくしないと受け入れられません。
 このように、それぞれの国の文化的DNAという視点からデザインを見てみると、とても面白い違いが見えてきます。

●リサイクルを考えたデザイン開発

 いま時代は激しい変革期の中にありますが、インダストリアルデザインにも、従来の製品開発ばかりでなく、新しい役割、責務が求められるようになっています。
 特に循環型社会の実現とか高齢化といった問題に、「デザイン」という切り口でどんな頁献が出来るのかは大きな課題です。ローマクラブが『成長の限界』を出して持続型社会への変換を説いたのは1972年ですが、20世紀末に入ってくると、ますます今までのようなものづくりが難しくなっているということが明確になってきて、デザインの手法も自ずと変わらざるを得ません。リサイクルとか廃棄段階を考えたデザイン開発が、今後さらに重要になってくるという気がしています。
 それと、中小企業のものづくりにデザインをどう活用していくかということも大きなテーマです。グローバリズムの進展の中で中小企業のものづくりはどんどん厳しくなっていて、JIDAでもデザインを活用して地場産業の底上げをお手伝いしたいと考えていて、「金物の町」として名高い燕三条の商工会に提案をしたりしています。そういう意味では、塩ビ業界が実施した「ものづくりコンテスト」(本誌No.78)も、デザインによる中小企業活性化の試みのひとつと言えるでしょうね。

●一次産業のブランド力アップもデザインで

座奥調整機能など細かな
「気配り」が 生きる
ビジネス・チェア

 私は農業や漁業といった一次産業にもデザインが入っていかなければならないと思っていて、この間も、東日本大震災で被災した女川町と南三陸町に行ってきましたが、その時思ったのは、あの地域が本当の意味で復旧、復興するにはデザインを活用して農業や漁業にブランド力を付ける必要があるということでした。単に農産物を加工して売るとか、発泡スチロールの箱に魚を入れて運ぶのではなく、もっと消費地が欲しがるようなデザインというものがあると思います。そのためにはパッケージを含めて我々がお手伝いできることはいろいろあるはずなので、そのへんを一緒に考えたいと思って、いま経済産業省ともお話しているところです。
 しかしながら日本のインダストリアルデザインというのは歴史的に企業依存型です。昔の通産省も今の経産省も、各企業が優秀なデザイナーを抱えて頑張っているのだから国があれこれ言うことはないという考えで、国としてのバックアップはあまり考えてきませんでした。その結果が今になって韓国、中国との差になって現れてきているわけです。中国も韓国も、世界の市場の中で、新たな需要を作っていくにはデザインを切り離して考えられないということで、デザイン振興に大変な力を入れています。そのようなアジアにおけるデザイン振興の状況を見て、日本の経済産業省もようやくデザイン振興に力を入れなければならないと考えはじめたようです。
 いずれにしても、「おもてなしの心」や「気配り」といった日本のデザインのDNAを生かしながら、ユニバーサル・デザインなども含めた新たな課題に対してデザイナーの叡智を結集していかなければと思っています。JIDAの公益法人化も来年度中(2012年度)には実現したいと考えています。
【取材日/2011年10月18日】

略 歴
あさか たかし

 1947年11月川崎生まれ。1970年東京教育大学工芸工業デザイン専攻卒。同年(株)岡村製作所入社。1973年〜1976年ドイツ(ウルム)にて工業デザイン事務所に勤務した後、1979年(有)デザインスタジオトライフォーム設立。オフィス家具、電子機器、医療機器、ハウジング設備などまで、幅広い製品で次世代デザインを提案している。2005年(社)日本インダストリアルデザイナー協会理事長に就任してからは、工業デザインの普及・啓発とデザイナーの職能確立を目指す活動を推進(現在3期目)。東洋美術学校プロダクトデザイン科講師。芝浦工業大学デザイン工学部非常勤講師。