2010年6月 No.73
 

(株)タイボー、「塩ビリサイクル35年」の変遷

多様な軟質塩ビ複合製品を一手に。
新たなビジネスモデルづくりへの挑戦も

 (株)タイボー(本社和歌山市和歌浦南3−9−1/TEL 073-448-3150)は、軟質塩ビの複合製品を中心としたプラスチックのマテリアルリサイクルに取り組む再生原料メーカー。処理の難しい複合製品のリサイクルを可能にしたものは何なのか?同社の岐阜工場(岐阜県海津市南濃町)を訪ねて、35年におよぶ塩ビリサイクル事業の変遷と現状、そして新たな動きまでを取材しました。

●初めから塩ビ複合製品が処理対象

 本欄でタイボーのリサイクル事業を取り上げるのは、これが2回目。前回の取材は、今からちょうど12年前のことになります。当時既に「塩ビを中心とした再生原料メーカー」として23年もの実績を有していた同社は、その後も他のプラスチックなどへと事業の幅を広げつつ、今なお旺盛な活動を続けています。今回改めて同社を訪れたのは、事業の現状を見ることはもちろん、内外ともに変動の激しかったこの12年間に、同社がどう対応して塩ビのリサイクルを維持してきたのかを知ることも目的のひとつでした。
 タイボーが塩ビのリサイクル事業に着手したのは1975年のこと。紡績メーカー「大阪紡績」として1967年に大阪市で創業(2年後に本社を和歌山市に移転)した同社は、間もなく始まった繊維不況の影響を受けて1972年に紡績から撤退。これを機に、繊維系の廃棄物を建材用の機能材に再生するリサイクル事業に転進したのに続き、オイルショック後の原油不足時代に対応する形で、1975年から塩ビのリサイクルにも乗り出すこととなりました。

リサイクルの例(塩ビホース)

 当初同社が取り組んでいたのは、主に自動車内装用レザー(軟質塩ビと繊維の複合製品)のリサイクルでしたが、その後繊維入り耐圧ホース、防水シート、床材、タイルカーペット、ターポリン、さらには壁紙、農業用ビニルなどへと対象品目を拡大。メーカーから引き取った工場端材を素材別に分離、再生処理して、それぞれをリサイクル原料として加工メーカーに供給する一方、自ら車止めなどの再生用途開発も行うなど、多様な塩ビ製品を一手に扱う総合リサイクル企業ともいえる活動を続けてきました。
 ここで注目したいのは、同社の事業が初めから処理の難しい軟質塩ビ複合製品を対象としていたという点です。

●脱穀機がヒント、「THセパレータ」の開発

「THセパレータ」の内部構造

 同社がなぜそれほど早い時期から複合製品のリサイクルに取り組むことができたのか、その鍵は同社独自の乾式比重分離技術を用いた「THセパレータ」の開発にあります。
 この分離装置は、脱穀機の原理をヒントに同社が開発したもので、簡単に言えば、ドラム(高速回転筒)の表面に加工された無数の針状の刃で複合品の境界面を引き剥がし、風力を利用して素材別に分離する仕組みです。

投入物の粗断   稼働中の「THセパレータ」

 塩ビレザーを例に、処理フローを説明してみましょう。まず1次〜2次粉砕で細かく砕いた原料(まだ繊維と塩ビが混在した状態)をTHセパレータに投入⇒高速回転するドラム上の刃により原料の境界面を引きはがす⇒ドラムにぶつかった衝撃で、質量の大きい塩ビは弾き飛ばされ装置の下部に落下し、質量の小さな繊維は風力吸引機で回収される⇒分離した原料を一時ストックして再生原料に加工する(塩ビの場合は粉砕品やペレット化など)。
 なお、一回で分離できなかった中間混合物は再度工程に掛けられ、最終的には重量比99.9%という高純度の分離をも可能にしています。

●「THセパレータ」がもたらした変化

 「分離再生技術としては他にもいろいろなやり方があるが、当社の場合は水も薬品類も一切使わずに、削って弾くという物理的作用だけで分離していることが最大の特徴。またかつての塩ビレザーのリサイクルは、裏生地の綿糸を希硫酸で溶かしたり、塩ビ層を手で剥いたりして塩ビだけ利用するしかなかったが、当社が機械的に分離する技術を開発したことで、表と裏の両方を再利用できるという大きな変化が起こった」と説明するのは、同社の平野二十四(かずとよ)社長。「THセパレータ」の登場が、当時いかに画期的な出来事だったかを物語る言葉です。
 「ただ、すぐにすべてが上手くいったわけではない、分離しやすくするために、刃先の形状や回転数などの研究を重ねなければならなかったし、処理品目によって粒度を変えるように工夫した。また、プロセス全体のバランスを調整することも結構難しく、例えば大量処理しようとしてドラムの大きさだけを変えたりしても、バランスが狂ってしまって上手くいかない。また機械を設置すれば誰にでも簡単に分離できるというものではない」
 「THセパレータ」の処理能力は1時間約1トン。岐阜工場では現在、3ラインの分離工程が稼働しており、同工場だけで年間約4000トンの塩ビが再生され、床材メーカーなどに向けて出荷されています。

●外部に左右されるリサイクル事業の難しさ

事業の説明をする平野社長  

 平野社長は「うちの塩ビ再生は30年この分離技術一本でやってきたようなもの」と言いますが、ここ10年余りの経営は必ずしも順調なことばかりではなかったようです。
 「岐阜工場は塩ビのリサイクル一筋で事業を続けてきたが、根拠のない塩ビバッシングが沸き起こった10年前に、この工場の操業が半分に減ってしまった。処理対象をオレフィン系の汎用樹脂や、容器包装の『その他プラスチック』にまで広げたのも、半ば止むを得ない結果だったと言っていい。また大型の射出成形機を導入して、成形製品の生産にも取り組むようになった」
 一方、中国の台頭と世界的な原油高騰によって引き起こされた素材バブルからも、「輸出により材料価格が吊り上って物がまったく集まらなくなる」など、大きな影響を蒙りました。さらに一昨年秋のリーマンショック以降は、日本全体の生産低下に伴い廃棄物の量、原料の需要ともに減少傾向が続いています。
 さらに近年では、3Rという廃棄物処理のプライオリティが一般化したため「リデュースということが盛んに言われるようになって、工場での取り組みが進んだ結果、リサイクルのしやすい産業廃棄物は小ロット化した。また、中国が廃棄物ですらも高値で買ってゆくなどマテリアルリサイクルに向いた物が国内で集まりにくくなっている。環境意識が高まるのは良いことかもしれないが、マテリアルリサイクルは元々廃棄物をリデュースしていたのです。資源循環の認識やバランスが変わったことがマテリアルリサイクル事業を難しくしている」といいます。
 12年前は年間約3万トンだった同社の総生産量は、現在約4万トン(うち塩ビは農ビを含め約1万トン)。事業規模は完全に復旧した形ですが、この間の紆余曲折からは、リサイクル事業の難しさ、その中での企業努力の厳しさを窺うことができます。
 「この10年に関わらず、リサイクル事業の経営はいつも厳しいが、その厳しさが、売れない厳しさだったり仕入れできない厳しさだったり、時によって異なる。経済、環境、国の政策、海外の状況など、リサイクルほど外部からの影響に左右されるものはない。いずれにしても大変な仕事だ」

●樹脂・製品メーカーとの“ウインウインの関係”

防水シート(左)から
再生された塩ビ原料(右)

 こうした中、タイボーでは、工場端材だけでなく、タイルカーペットと床材の使用済み品を市中から回収して再資源化する取り組みが行われています。また、壁紙から分離、再生した塩ビを、バージン材と混合して再度壁紙の原料に利用するという新たな挑戦を、壁紙メーカーとの協力で進めようとしていることも、最近の大きな動きです。
 産業構造審議会・中央環境審議会の検討会(プラスチック製容器包装に係る再商品化手法検討会)委員などを務め国の政策づくりにも積極的に参加する平野社長は、こうした動きを今後のリサイクルのあり方と結び付けて、次のように指摘しています。
 「リサイクルは、品質の低下を伴うカスケードリサイクルでは付加価値が付かない。最も付加価値が出るのはバージン材を使う樹脂・製品メーカーと連携することだが、そのためには再生原料を使うことが利用するメーカーで環境貢献としてメリットになる“ウインウインの関係”を作る必要がある。今回の試みはその第一歩とも言えるが、例えばカーボンオフセット(ある経済活動によって排出されたCO2を、クリーンエネルギー事業など別の事業で直接的、間接的に吸収、相殺する方法)と組み合わせて、CO2排出の少ない再生原料を使えば使うほどメーカーがオフセットできるといった制度を作らなければならない。再生品の安さをバージン材と競合させるのでなく、その両方に価値が出るビジネスモデルを育てないと日本にとって必要な資源循環型社会は続かない。
 「我々にとって塩ビほど実績があってリサイクルしやすい素材はなかったのに、一時塩ビが悪者呼ばわりされたときは本当に腹が立った」という平野社長。塩ビのリサイクルを今後どう継続させていくか、技術面だけでなく事業の仕組みの安定化も含めて「さらに検討を深めていきたい」と語っています。

リサイクルシステムフローで見るタイボーの事業概要