2009年12月 No.71
 

「正義感」と「リスク思考」の狭間で

環境報道に求められるのは
「リスク&ベネフィット」を見渡す視点

毎日新聞社 生活報道部 編集委員 小島 正美 氏

 

●経済学から環境保護へ

 私は大学でデモに明け暮れていた最後の世代の人間です。共産党員(公務員)だった父の影響もあって、高校の頃から、資本主義はよくない、資本主義を変えないと生活は豊かにならないといった考えがずっと頭にあったんですね。とりあえず英語を勉強したくて入った大学では、マルクス研究会というサークルで『資本論』を読んだりしているうちに経済学、特にケインズ左派に傾倒するようになり、就職するにしても資本主義の手先になるようなことはいけないみたいな、今思えばおかしな思い込みから、新聞記者を仕事に選んだわけです。
 毎日新聞に入ったのは経済誌の『エコノミスト』で公害問題や体制比較論などを書きたいと言う気持ちからですが、最初に配属されたのは『サンデー毎日』でした。そこで1年ばかり慣れない事件取材で苦労した後に長野支局に回されたのですが、当時の長野県は美ヶ原ビーナスラインとか南アルプススーパー林道をめぐって自然保護か開発かという議論の真っ最中で、私もそのへんの動きを取材しているうちに、今度は経済学より環境を守るほうが大切なんじゃないかという思いがだんだん強くなってきて、エコロジーとか環境科学のほうに関心が向いていっちゃったわけです。
 長野には10年近くいました。環境保護をテーマに書いた連載記事がたまたま出版社の目に留まって最初の本を出したのも長野にいた間のことです。34歳のときでした。

●リスク論に開眼する

 その頃は、とにかくマイナス面を書くのが記者として正しいんだという意識が強くて、東京に戻って生活家庭部に入ってからも、農薬や化学物質のリスクについてはたくさん記事を書きましたが、ベネフィットということは殆ど考えませんでしたね。
 1997年に環境ホルモンの問題が出てきたときも、取材でアメリカ滞在中に読んだシーア・コルボーンの『奪われし未来』がとても新鮮で、こういう見方もあったのかと思って、帰国してすぐに取材を始めました。それで『しのび寄る人体汚染』というタイトルで哺乳瓶に使われるビスフェノールAの問題とか母乳とダイオキシンの問題などを連載した後、これを本にまとめたのです。
 ところが本を出してみると、読者や企業からいろんな意見が寄せられてきましてね。いちばん覚えているのは「小島さんの意見は正しいかもしれないが、世の中全体で見たらそれほど大きなリスクじゃないのに、ビスフェノールAが悪いといってポリカーボネートの哺乳瓶を生産中止にしたら、失業者が出てひとつの産業が潰れてしまう。そういうことを一方的に書いていいんですか」という言葉です。このとき初めてリスクとベネフィットという考え方が頭の中をよぎりました。
 読者からも「小島さんの記事にダイオキシンが怖いと書いてあるので、子どもに母乳を与えるかどうか迷っている」といった電話がよく掛かってきました。私も母乳を否定するほど危ないとは思っていなかったので、「それは動物実験から推定した話でヒトで証明された訳ではない。母乳は飲んでもいいんじゃないですか」と答えたら、「小島さんの記事はそうは読めない。危ないということしか伝わらない」と言うんですね。そのときも、自分では分かって書いているつもりでも、読む人からはものすごく危ないと受け取られているのかなという思いがよぎりました。
 リスク論の本を本気で読み始めたのはその頃からです。中西準子先生(現産業技術総合研究所・安全科学研究部門長)の本を読んだり、宮本純之先生(元国際純正応用化学連合環境問題上級顧問、故人)の話を聞いたり、いろいろ勉強していったら、やっぱり今まで自分の書いてきた記事はちょっとバイアス(偏り)があったかなという反省も生まれてきました。
 それと、同じころ遺伝子組換え作物についても危ない面を重視した記事を書いてたんですが、直接アメリカの生産者から話を聞いてみると、遺伝子組換え作物で農薬が減り飲み水の汚染が減ったとか、うさぎやテントウムシが戻ってきたとか、誰に聞いてもそう言うわけです。そんなこんなで、やっぱり物事はリスクとベネフィットを比較しながら全体を見ていかなければいけないんだなと思うようになって、有機農産物は本当にいいのか、化学物質はどこまで悪いのかといったことを模索しながら書き始めたのが2003年ごろだったと思います。

●何がバイアス報道を生み出すのか

 意外だったのは、リスク全体を考えなければと思い始めたとたん、メディアの情報が非常に偏っていて実はバイアスだらけだと気がついたことです。残念ながら、そういうメディアの状況は今でも余り変わっていないと言わざるを得ません。
 例えば、現在公開中の「未来の食卓」というフランス映画を取り上げた新聞記事を読むと、無農薬の有機農産物は正しい、農薬を使った農産物を食べるとガンや糖尿病になったりキレる子どもが増えたりするといった監督の言葉をそのまま信じて書いている記者が多い。あるいは、去年伊藤ハムが地下水のシアン化合物汚染で製品回収を行ったときも、公表を1カ月遅らせたとか、企業のモラルが低いといった観点からの批判が主になっていて、リスク情報は二の次になってしまっている。10年前の私と同じ感覚です。
 つまり、記者にとっては未だに、リスクの大きさをどう知らせるかという本質的な問題より、企業の姿勢、倫理観の問題のほうが重要なのです。むろんその根っこには、人を守りたいという記者としての使命感、正義感があるわけで、それはそれでとても大切なものです。
 しかし、不祥事の公表遅れに対する批判といったことは、分かり易いから誰だってできるとも言えるし、第一そういう報道では本当のリスクの姿が伝わらない。それどころか、鳥インフルエンザやBSE問題のときのように、被害者も出ていないのに養鶏業者や焼肉業者が自殺してしまうといった悲劇さえ招きかねません。これで本当に国民を守ったと言えるのでしょうか。リスク論の観点に立ったら、企業を批判するだけでは何の解決にもならないという気がします。

●動き始めたメディア・パトロール

 こうした中で、いまメディア・パトロールの動きが活発になりつつあります。メディア・パトロールというのは私の造語ですけど、要するにメディアに的確な情報を流してもらうためにリスク論の立場から報道を検証する取り組みと考えてもらえればいいと思います。
 例えば、医療・医薬品の報道についてはメディアドクターという活動が世界中で進められています。日本でも3年ぐらい前から医者や新聞記者、大学教授、企業の広報担当などが集まって、医療記事のガイドライン的なものを作って活動しており、私もメンバーの一人です。
 具体的には、医療報道するときは費用対効果を必ず書いてもらうとか、動物実験だけでなくヒトの試験で効果が確認されたかどうか、発表した学者が企業とどの程度関わっているかもちゃんと調べてくださいとか、そういう基準を10項目ほど作って、メディアに提案しています。記者もそういうことを知っていれば、きちんと取材した記事が書けるようになるはずです。
 食品については、食品安全情報ネットワークという食品関係の報道を検証する団体(代表は東京大学名誉教授の唐木英明氏)があって、おかしな記事には訂正や質問への回答を求めるという活動が始まっています。
 ごく最近の例では、BSEの問題に関して非科学的な社説を掲載した北海道新聞に記事の訂正を求めたりしています。
 日本のメディア・パトロールは、まだ勉強会のような段階で課題も少なくありません。特に検証で明らかになった問題点をメディアにどうやってフィードバックしていくかが大切で、そういう点も含めて、これからもっと活動を深めていきたいと考えています。

●化学物質報道ガイドラインへの提案

 ただ、メディアパトロールもあらゆる問題には対応しきれないので、とりあえず医薬品、食品、化学物質の3分野についてしっかりした第三者機関があればいいのかなと思っています。化学物質の取り組みはこれからですが、個人的にはガイドラインの私案のようものがないわけではありません。
 例えば、化学物質や残留農薬の基準違反について報道するときは、1日摂取許容量(ADI)から見てどれだけ多いのか少ないのかをまず書く。基準違反の場合でも、死ぬまで食べ続けなければ健康に深刻な影響はないということがわかれば、人々もあまり怖がらないですよね。私案では、行政や企業が発表する際にリスクの大きさを1、2、3といった数字で示すとか、自衛策不要レベル、長期的に摂取を減らすべきレベルといったわかりやすい言葉で表現すれば、メディアも記事を書きやすいだろうし、例え見出しがセンセーショナルでも本文がきちっと書いてあれば読む人にもわかってもらえるんじゃないでしょうか。
 そういうガイドラインを10項目ぐらい作って記者たちの参考にしてもらえないかと考えて、講演会などで個人的に提案しているんですけど、アイデアとして悪くないと思うので、さらに多くの人の知恵を集めて何か冊子のような形にまとめられればと思っています。

●不安情報とメディアの責任

 実は今いちばん関心があるのは化学物質や農薬に関する不安情報の問題です。例えば、製薬メーカーや医者は、人前に出るのが不安だとか、職場で人とうまくやるのが苦手だという人にまで、あなたは病気なんだから薬を飲んで治しましょうと言って抗うつ薬を売りますね。メディアも、それはセロトニンという神経伝達物質が減っているせいで抗うつ薬を飲めば良くなると書く。これは一種の脅しなんです。つまり、医者も製薬会社もメディアも、化学物質や農薬に関する不安情報を流すことで自分の存在を持続させ商売をしているという構図が明白に存在しているわけです。
 無添加やアンチエイジング(若返り医療)も同じです。添加物は怖いという脅しの上に無添加商法が成り立っている。アンチエイジングの医者に行くと、サプリメントを飲んで健康になりましょうと言うし、雑誌にも、デトックス(体内の毒素を排出させる健康法)でサプリメントを摂れば有害な重金属が排出されると書いてある。現代社会ではこうした不安情報があらゆるところで生産されています。その恐ろしさを最近すごく感じていて、不安情報に対するカウンター的な安全情報、科学的な情報をメディアとしてどう発信すればいいのか、いろいろ調べているところです。
 情報を発信することには大きな責任が伴います。弱者の立場、市民の側に立つといったことは、いい意味では正義感かもしれませんが、それだけでは結局自分の首をしめることとなる、そう思って私はリスク論に目を向けたんです。CO2 25%削減というのは確かに聞こえは良いけれど、10年先20年先に本当に市民生活にとってプラスになるとは必ずしも言い切れません。リスク論をやっているとどうしても生産する側の言い分に近づきがちになりますが、決して産業寄りということではなく、リスクとベネフィットの全体を見渡す視点を持つことが報道の責任なんだと思います。(談)

★メディアドクターとは─

医学記事の水準向上(正確さ、バランス、完全さ)を目的にオーストラリアで始まった活動。現在ではカナダ、アメリカ、日本など世界各国で取り組みが進められている。医療の専門家とメディア関係者とがチームを組んで、医学記事を評価採点し、その結果をインターネット上に公表するもので、具体的な 評価のポイントとしては、 ○あおり・病気作り(不安のあおりや病気づくりがない)、○エビデンスの質(根拠について適切に言及している)、○治療の弊害(副作用などの情報がある)、○治療コスト(費用対効果の情報がある)、○情報源の独立性(出所、事実確認について言及がある)、○プレスリリース依存(報道資料を引き写していない)、などの10項目が指標として使用される。

(取材日/2009年9月28日)

略 歴
こじま・まさみ
   1951年愛知県犬山市生まれ。愛知県立大学英米研究学科卒。‘74年毎日新聞社入社。長野支局、松本支局を経て、‘87年東京本社・生活家庭部に配属。千葉支局次長の後、‘97年から生活家庭部編集委員として主に環境や健康、食の問題を担当。東京理科大学非常勤講師のほか、水産庁や経済産業省の審議会委員も務める。
 食の専門ウェブサイト・フードサイエンスに連載中の「記者の眼」で、健康とリスク、メディアの報道の検証などをテーマに健筆をふるっている。『リスク眼力』(北斗出版)、『アルツハイマー病の誤解』(リヨン社)など著書多数。メディアによる不安増幅のメカニズムを現役記者の立場から解き明かした近著『誤解だらけの「危ない話」』(エネルギーフォーラム、写真)が話題に。