2007年3月 No.60
 
環境ホルモン問題とは何だったのか?

─ 日化協エンドクリンWG・岩本主査に聞く

 「化学物質の環境リスクに関する国際シンポジウム」(主催=環境省)が、昨年の11月12日〜14日まで釧路市で開催されました。この会議は、化学物質の内分泌かく乱作用に関する研究成果の交流や安心・安全のための取り組みを図ることなどを目的に毎年開かれていたシンポジウムが、テーマを環境リスク全体に拡大して開催された第1回目のもの。
 (社)日本化学工業協会(日化協)の岩本公宏氏(環境安全委員会エンドクリンWG主査。三井化学(株))に、内分泌かく乱物質(いわゆる環境ホルモン)問題についての総括、化学物質のリスク低減へ向けた化学業界の対応などについてお話を伺いました。

●なぜ大騒ぎになったのか? 
−問題の経緯と行政の対応

岩本主査
−シンポジウムに参加された感想は?
 全体の感想として、シンポジウムの名称も第8回までの「内分泌かく乱化学物質問題に関する国際シンポジウム」から「化学物質の環境リスクに関する…」と変わった事に、環境省の環境ホルモン問題に関する姿勢の変化が、本シンポジウムの内容の変化が、集約されていると感じた。環境ホルモン問題に焦点をあてつつも、化学物質の環境リスク全般への対応について議論を広げていったが、その結果、シンポジウムとして参加者に与える印象が希薄になった。

−なぜ日本の社会全体が環境ホルモンに過剰な反応を示したのでしょう。
 「内分泌かく乱物質の問題は、1996年にシーア・コルボーンが『奪われし未来』を出版したことに始まるが、97年に邦訳版が出版され、これを受けて特に98年頃からの行政、学会、マスメディア、あるいはその報道に接した消費者の対応は、まさに環境ホルモンバブルと呼ぶべき騒ぎだった。当時この問題を取り上げた主要日刊紙、週刊誌等51紙・誌を対象に報道件数を調べてみると、最も多かった1998年には月800件に上り、報道や本のタイトルには世紀末ということもあってか『環境ハルマゲドン』、『環境ホルモンという名の悪魔』といったオカルト的なものまでが氾濫していた。また、研究成果を歪曲したり危険を誇張した報道もあり、こうした情報を見聞きした消費者の間には、当然のことながら、子供を守るため、話題になった化学物質を含む製品(塩ビ製のおもちゃ、ポリカーボネイト製の哺乳瓶や学校給食器など)を回避しようという動きが、あっという間に広まった。『奪われし未来』は、日本だけでなく先進国で広く読まれた本であったが、日本だけがこのような突出した状況になったのは、他社に遅れを取るまいとセンセーショナルな姿勢に徹したマスメディア主導の騒動であった事によるものと考える」

−環境省の環境ホルモン戦略計画SPEED'98の影響も大きかったのでは?
 「SPEED'98が“内分泌かく乱作用を有すると疑われる化学物質”リストとして67物質をリストアップしたことで、火に油を注いだ恰好になった。このリストは、あくまで調査研究の対象物質であったのに、メディアが科学記事としてではなく社会面ニュースとして過激にかつ扇情的に取り上げたせいもあって、真理を探究するアカデミア・サイエンスであるべきなのが、犯人探しのサイエンス的な方向に議論が捻じ曲げられてしまった。

−最近は環境省も対応方針を変えたようですし、マスメディアの報道も目にしなくなったですね?
 「環境省のSPEED'98は、今では、『国民の安心のための緊急的な対応』だったと理解している。同省は、リストアップした67物質の内分泌かく乱作用を順次評価していった結果、規制的な対応の必要はないと判断、新たな対応としてExTEND2005を策定した。この中で7つの重点取組が公表されたが、まとめれば「化学物質の環境リスクに関する地道な調査・研究と正しい情報の伝達」に重点を置いたものといえる。行政の大きな役割の一つは国民の安全と安心感の確保だ。安心感については、少なくとも内分泌かく乱化学物質問題に関しては、『未だ未解明な点があるが、当初考えたほどの人健康や環境へのリスクはない』との情報をわかりやすい形で発信し、国民のこの問題の認識の軌道修正をはかる必要がある。
  一方、マスメディアは、過去この問題の報道の根拠となった事実の多くがその後の研究成果と行政などの評価によって否定されるようになると共に、この問題への関心を喪失してしまった。マスメデイアによる報道がほとんどなくなった現在、一般消費者の多くは当時マスメデイアが創りあげたままの環境ホルモンの過大なリスクイメージを意識下に残していて、その結果、関連製品に対する忌避反応はそのまま継続している。ある意味で、消費者と関連製品はマスメディアの過激な報道の被害者であると言えよう。
  こうした背景の中で、行政当局には自ら実施した評価結果を国民に正確に届けるための一層の努力を期待する。

●化学製品のリスクの総合管理の一層の推進
−この間、産業界はどんな取り組みをしてきたのでしょう?
 「産業界もレスポンシブル・ケア活動として、内分泌かく乱化学物質問題に取り組んできた。日化協は総合的立場で情報の発信と基礎的な研究活動(LRIなど)の実施、問題視されたそれぞれの化学物質を製造している企業や業界団体では作用の有無に関する研究や広報活動などを、一部には国際的な連携で実施してきた。例えば、国内外のビスフェノールAの製造メーカーが協力して組織した研究チームは、低用量作用に関しての研究成果を京都での第1回国際シンポジウムで発表し、vom Saal教授との間で激論を戦わせた。また、横浜での第3回国際シンポジウムでは、ラットを用いた3世代にわたる大規模な試験を実施し、低用量作用は認められないとの研究成果を発表した。化学物質についての国際的な協力関係の中で取組が進んだことは意義があったと考える」

−化学物質を安全に利用していくうえで最も大切なことは?
 「化学物質はその性質として二面性、即ち、有用性(ベネフィット)と有害性(リスク)を合わせ持っている。人類は、この中、有用な性質に着目してこれを利用し、有害な性質は人や環境に影響を与えないような暴露レベルに抑えて、化学製品を開発しその恩恵にあずかってきた。内分泌かく乱作用についても、たとえ作用があったとしても人や生物に有害な影響を与える暴露レベルかどうかということで判断すべきである。むろんリスクは小さいほど望ましいが、リスクを削減すると別のリスクが増えるというリスクトレードオフの関係もあるし、無視しうるリスクまで削減するとなると膨大な費用を必要とする。結局、リスクの相対的な大きさ、代替手段を含むリスクとベネフィットを俯瞰的に捉え、どの程度ならリスクを許容できるか、という社会としての安全文化の構築が重要である」

−化学物質のリスク低減へむけた今後の産業界の対応は?
 「化学産業界は、顧客や消費者に化学物質を安全に取り扱っていただき、社会に貢献する事を第一に考えている。環境・安全の解決に貢献するのも、化学技術・製品であると考える。優れた製品の開発・提供とともに、常に最新の科学的知見をもとに化学物質・製品のリスク評価を行い、実態に即して適切な管理を行うこと、この事が社会的責任の一つとして強く産業界に求められている。化学物質のリスク管理能力の更なる向上など、レスポンシブル・ケアの一層の充実に努めていきたい」