2006年9月 No.58
 

安井国連大学副学長、持続可能性実現への道筋を語る

JPEC講演会が6月12日午後、東京都港区の虎ノ門パストラルで開かれ、100人を超える参加者を前に、国連大学の安井至副学長が「環境問題の将来展望」と題して講演を行いました。

 

    今回の安井先生の講演は、気候変動の動向、化石資源や水・食料資源の限界、人口問題など環境問題の将来展望を概観した上で、産業界に向かって「右肩下がりの21世紀に対応した持続可能性の実現の必要」を強く訴えたもの。お話のポイントは次のとおりです。  

 

■ 右肩上がりの持続は不可能に

  • 気候変動、温暖化の問題については、未だにその科学的事実を疑問視する意見(CO2で本当に温暖化が起きるのか、温暖化は農業生産にとって悪いことばかりではない、など)も多いが、最近はそうも言いにくくなってきた。2001年に発行されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書以来、たった5年間で、科学的にみて相当な知見が蓄積された。そのいずれもが、人間活動が温暖化の原因であることを科学的に証明し得る知見のように見える。

  • 日本の取るべき対策としては、最高度の省エネ・省資源技術の研究開発が第一だ。京都議定書の目標達成は非常に難しそうだが、排出権取引はやるべきではない。排出権取引は金を出して免罪符を買うことに過ぎず、メリットはない。それよりも温暖化ガス発生削減の努力を最大限行うべきだ。また、CDM(クリーン開発メカニズム。途上国の二酸化炭素削減支援)などで貢献したり、途上国に気候変動枠組みへの参加を促すなどの取り組みも必要だ。環境税の導入も国民へのメッセージとして必須だ。

  • 気候変動に伴って起こる問題で、温暖化よりも日本にとって怖いのは水資源と食料供給の問題だ。水資源に関して日本はとんでもない状況になっている。例えば、牛肉を1トン輸入することは、トウモロコシなどの飼料まで計算に入れると水を1万トン輸入することと同じと言われる。こうした間接水の輸入量は、日本では年間1人当たり600立方メートルに達する。これは1人当たりの生活用水、工業用水、農業用水の量をはるかに上回っている。牛肉、トウモロコシ、大豆、小麦が4大間接輸入水であり、日本はこの水ストレスから逃れられない。対応を真剣に考えなければならない。

  • 化石燃料については、石油のピークアウトが実際にいつ起こるかはよくわからないが、2030年ごろまでにピークがきてもおかしくない状況と言える。いずれにしても、エネルギー供給戦略と同時に、極限の省エネ技術を獲得しておくことが、日本の競争力確保にとって必須条件だ。

  • 人口問題については、2050年に100億を超えるという予測は過大評価だ。様々な人口予測の中でもし当たるとしたら、2040年に78億程度という最下位予測のほうだろう。個人的には、これをピークにその後は地球全体としては下がっていくと思う。

  • 2002年のヨハネスブルクサミットでは、2020年程度までの先進国の目標として「持続可能な生産と消費」が指摘された。これが何を意味するかというと、右肩上がりの持続は不可能だということだ。20世紀は右肩上がりがよい社会の前提だったが、21世紀は、今述べたように人口、エネルギー、資源、すべてがピークを超えて減少傾向に入る。これに対応した新しい考え方に転換する必要があるが、そこで注目すべきは、右肩上がりが幸福の前提だった20世紀の社会の中で、唯一右肩下がりになったものがあるということだ。それは環境汚染である。環境汚染だけは、右肩下がりが「経済と環境の好循環」を意味した。

  

■ 日本型経営への里帰り

  • さて、今の世界のトレンドを見渡すと、日本の「安全と安心」、ヨーロッパの無害化主義、米国のグローバル化(短期的利益追求主義)、その他各国のユニラテラル主義(自国優先主義。例えば韓国、米国、イスラエル)、といったローカルトレンドがある。日本の「安全と安心」は国家目標として掲げられているものだが、客観的に見れば日本ほど安全な国はない。食の安全についても、生の白いんげん豆が騒がれる程度だ。安全の問題はリスクで考えることが非常に重要だ。リスクはゼロにならない。それを安心に結びつけるには、リスクはゼロにはならないのだからしょうがないという悟りが必要だが、この悟りを得るには文書などによる情報伝達だけでは不十分で、擬人的なメディアであるテレビの影響は非常に大きい。
     
  • ヨーロッパの無害化社会に関しては、鉛など重金属4種類と臭素系難燃剤2種などを全面禁止するRoHS規制が4月からスタートしたが、本当に実効性が期待できるとは思われない。例えばハンダの被害は本当にそれほど大きいのか。ハンダの使用量は減ってきているのに、それを他の物質で代替するリスクはないのか。結局、RoHS規制はビジネスリスクを生じさせるにすぎない。

  • 日本は、少なくとも2030年程度まではやはり製造業を中心に生きていくのが現実的だと思う。金融・サービス業に主軸を移すべきではない。日本には、他国にまねのできない日本産業の独自の優れた部分が明らかに存在する。それは高品位素材の製造能力と使用側企業の材料分析能力だ。例えば、おかしな素材は使用企業が正確に分析してきっちり撥ねつけてきたし、製造業はそれに応えて高品位の素材を開発してきた。但し、製造業は長期的な視野を持った競争力を育成しなければならないが、そうなるとアメリカ的な株主優先主義は日本にはそぐわない。

  • 日本企業のあるべき姿は、長期的な視野を持った競争力を育成することだ。つまり、株主優先主義からの離脱、特別技能を持つ社員の優遇、内部留保の確保、基礎体力(例えば分析力)の維持、成果主義の不適用、トヨタ的な世襲制度の創出、といった政策に再度注目することだ。

  • そのために有効なのが、実はCSR(企業の社会的責任)である。CSRとはコンプライアンス(法令順守)でも環境報告書を出すことでもない。21世紀における真のCSRとは、持続可能性の実現にある。そのためには、ストックホルダー(株主)優先ではなく、ステークホルダー(利害関係者)優先へ、企業の価値観を転換しなければならない。利害関係者とは、社員、関連企業、地域社会、国際社会、さらには、生態系、地球全体、将来の世代にまで及ぶ。商品軸で言えば、原料は何なのか、それは3Rとどう関係しているのか、資源・エネルギーへの配慮までを含めた経営がCSRであり、ある意味でそれは(伝統的な)日本企業への里帰りでもある。製造業ほどそうした経営を早期にちゃんと取り入れるべきだ。

 

■ 「第三の革命」で持続型社会へ

  • 4人家族の家庭のすべての所有物を比較すると、日本が9000点、アメリカ5000点、ブータン25点、という調査結果がある。ところが、ブータンの国王は「わが国は経済的に恵まれていないかもしれないが国民が幸福を感じていることに関しては自信がある」と言い切っている。これはなかなか言えない言葉だ。では、いったい日本はどうすべきか。

  • 我々が地球の持続能力を超えて温暖化などを引き起こすことができているのは、明らかに化石燃料のおかげ。だとすると、化石燃料をすべて使い切るまでに(多分2300年ごろ)、地球の持続能力の範囲内に人間の活動を納めて持続的にやっていくのか、あるいは核融合といった方向に行くのか、その分岐点に我々はいる。世界の原子炉の数は現在493基。それを例えば5000基に増やして我々は枕を高くして眠れるのか。最終的には前者を選ぶしかないのではないか。

  • 第三の革命が必要だ。第一の革命は農耕革命、第二が化石燃料を使い始めた産業革命だが、それはあと数百年で終わることは目に見えてきた。この段階で我々のマインドを変えていかねばならない。第三の革命の意識とは、すべては右肩下がりになるが幸福は右肩上がりになる、物量は少ないほどよい、所有から共有へ、自己満足から共生的満足へ、といった価値観の変換だ。ゴールは見えてきた。やるべきこともわかってきた。優れた企業は、環境対応で一般社会の半歩前を歩く、行政はその先で企業を引っ張り、NPOをうまく動かしてその一歩先を歩かせる。そしてその先を、言わば“お先っ走り”のごく少数の個人が走る、そういう形で最終ゴールをめざしていきたい。