2001年9月 No.38
 
リスクコミュニケーションのすすめ

  ――生活者の目線で考える

 

 消費生活アドバイザー 角田 季美枝

●はじめに

 
  PRTR法の施行にともない、リスクコミュニケーションが注目されています。筆者は仕事で企業や行政の環境コミュニケーションの取材をする一方、環境団体や消費者団体に所属して環境コミュニケーションの調査研究を行っています。この両者の経験を総合的にとらえると、企業や行政が考えるリスクコミュニケーションと生活者が考えるリスクコミュニケーションは必ずしも一致していません。
 Communicationは英語圏では日常的に使用されている言葉ですが、日本でコミュニケーションというカタカナになると、双方向という意味あいが抜けることもあるようです。しかし、コミュニケーションは双方向の性質をもっていることを、特に有害性が科学的に解明されていない化学物質のリスクについてコミュニケーションする時には、留意する必要があります。企業や行政が、生活者の目線で考えてリスクコミュニケーションを推進することが、リスクコミュニケーションの成功につながるといったことを、筆者の経験からお伝えしたいと思います。
 

●リスクコミュニケーションとは何か

 
  リスクコミュニケーションの定義は、非常にお伝えするのがむずかしいところがあります。それは急激に進展している領域だからです。
 たとえば、米国National Research Councilが1989年に公表した報告書(邦訳『リスクコミュニケーション 前進への提言』化学工業日報社、1997年)では、「個人、集団、組織間での情報および意見の相互交換プロセス。リスクの特性に関する種々のメッセージや関心、見解の表明、またはリスクメッセージや、リスク管理のための法的および制度的取り決めへの反応を含む」とされています。これは、それまで企業や行政が「リスクについて伝達し住民に安心してもらう手法=リスクコミュニケーション」としていた考えに双方向性を盛り込んだ新しい考え方でした。
 しかし、筆者もメンバーであった日本化学会化学物質リスクコミュニケーション手法検討委員会(委員長:浦野紘平・横浜国立大学教授)は、3年間の議論を経て「関係者が相互に情報を要求、提供、説明し合い、意見交換を行って関係者全体が問題や行為に対して理解と信頼のレベルを上げてリスク削減に役立てること」という定義を、1999年に示しました。この定義には目的も含まれたものとなっています。単に双方向でリスクについて意見交換等をして理解や信頼のレベルを上げるプロセスだけではなく、リスク削減に役立つプロセスでもあるということを明確に打ち出した定義になっています。
 ここで重要な点は、リスクコミュニケーションの定義は社会的実践のなかで成熟するものということです。
 

●企業・行政と生活者のリスクコミュニケーションに関するギャップ

 

  企業・行政と生活者のリスクコミュニケーションのイメージのギャップがあることに気づくことが重要です。もっとも大きなギャップは、「企業や行政がリスクコミュニケーションを考える際は、組織のリスクマネジメントの一部として考え、市民は健康や環境のリスク削減のツールのひとつとして考えている」という点です。
 「JIS Q 2001:2001リスクマネジメントシステム構築のための指針」には、リスクコミュニケーションの目的は、以下の3点となっています。

  • リスクの発見及びリスク特定のための情報収集
  • 関係者との間の誤解又は理解不足に基づくリスクの顕在化の防止
  • 関係者に及ぼす可能性のある被害の回避及び低減

一方、日本化学会は、リスクコミュニケーションの目的のひとつにリスク削減を掲げています。また、2000年9月にドイツ・ベルリンで開催されたOECDのリスクコミュニケーションのワークショップでは、「リスクコミュニケーションの究極の目標は、消費者がインフォームド・チョイスするように力づけること」とされ、消費者がリスクの少ない商品やサービスを購入するためのツールとしてとらえられているのです。
 リスクコミュニケーション研究の第一人者として知られる米国ラトガース大学環境コミュニケーションセンター長のキャロン・チェス教授は、「米国のNGOの多くは、リスクコミュニケーションを(企業や行政がリスク削減に向けた)行動をしないことの言い訳としてとらえています」と指摘しています。

 

●生活者が求める安心と安全

 

  企業や行政は安全を説明しようとしますが、生活者は安全だけではなく安心も追求しており、安全を伝えるだけでは安心につながらないということも注意しないといけません。企業・行政はどちらかといえば自然科学的なデータで説得する行動をとります。たとえば「リスクアセスメントの数字をベースに考えてください」「科学的に因果関係は明確になっていません」と「科学」で、生活者にリスクの小ささを説明しようとします。
 しかし、生活者が求めるのはこのような科学的正確性だけではないのです。「一般的な説明はわかった。でも、それで私や私の子どもはほんとうに大丈夫なの?」と尋ねます。暴露の可能性が多い人と少ない人のリスクは同じといえないことを実感しているからです。
 また、科学的知識をもっている生活者のなかには「リスクアセスメントの評価のプロセスは、いろいろな前提があり、出てくる数字にも幅がある。リスクの低いほうの数字で説明しているのではないか?」と疑問をもつ人もいます。

 

●生活者の目線に立つということ

 

  企業や行政のリスクコミュニケーション担当者も生活者にはちがいないのですから、リスクコミュニケーションしようとするメッセージを、生活者から見てどのように感じられる内容や表現方法なのかという点を、発信する前にチェックすることが重要です。
 製品関連のリスクコミュニケーションについて、どのような観点からチェックができるのか一例を以下に示します。

  • その製品のリスクを受ける利用者の特徴
    たとえば、リスクの主な受け手が乳幼児の場合意思決定は一般に親がしますが、リスク最小の選択肢を追求しています。妊娠中の女性は食品経由のリスクに敏感になりがちです。高齢者の場合、文字の大きさや色づかいによっては表示の文字が見えにくくなることもあります。

  • リスク低減の提示
    使い方によってその製品のリスクが低くなる可能性を、情報提供すべきです。あるいは絶対してはいけない使い方については警告表示で注意を喚起すべきです。

  • 社会的な関心の程度
    社会的に大きな関心をひくような問題は、生活者自身もいろいろ情報を収集しています。特にネガティブな情報について敏感になっています。

  • リスク情報を提供する側の公平性
    利害関係のある業界団体やメーカーの情報発信は、「企業に都合のよいことしかいわない」と思われがちです。政府や科学者の情報発信が、必ずしも中立とは考えません。審議会報告なども、審議のプロセスや参加者の偏りが疑われる場合中立とは思われません。
 

●リスクコミュニケーションの継続的改善

 

  リスクコミュニケーションに限らず、コミュニケーションはお互いが完全に理解することなく行っている点にも注意が必要です。個人的な友人関係を思い起こしてみてください。相手のいったことの半分ぐらい理解して、応答しています。その応答をまた半分ぐらい理解してコミュニケーションがつづきます。そのなかで時々「あれ?」「そんなつもりでいってない」という場面がありませんでしたか?
 リスクコミュニケーションもマネジメント的に考える必要があります。ISO14001で一躍有名になったPDCAサイクルと目標管理を、リスクコミュニケーションにも活用し、「継続的改善」をしてはいかがでしょうか。
 このときにリスクコミュニケーションの評価項目はいくつか考えられると思いますが、筆者がぜひ入れてほしい項目を3つ示します。

  • TPOに合った情報を提供したか
  • 相手のニーズに合った情報を提供したか
  • 情報提供によって健康や環境のリスク削減につながったか

 リスクコミュニケーションのマネジメントの難しさは、成功したかどうかを判断するのは受け手にあるという点にあります。しかし、良いコミュニケーションをしている組織のイメージはそうでない組織よりも高く、それはブランド価値の創造にもつながります。リスクコミュニケーションは非常に挑戦的な課題ですが、積極的に取り組む価値のある課題ではないでしょうか。

 
■プロフィール 角田 季美枝(つのだ きみえ)
 愛知県出身。慶応義塾大学卒業。フリーランスの編集者・ライター。消費生活アドバイザー。環境マネジメントシステム審査員補。バルディーズ研究会副運営委員長。グリーンリポーティング・フォーラム共同コーディネーター。環境自治体会議環境政策研究所客員研究員。?日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会環境特別委員会副委員長。ユニバーサルデザイン生活者ネットワーク副代表。
企業や行政の環境マネジメント・環境監査、環境情報開示、環境コミュニケーション、化学物質のリスクコミュニケーション、ユニバーサルデザインなどについて調査研究を行っている。
最近の主な著作などに『環境汚染の化学物質リスクをどう回避するか』(企画・編集、『リサイクル文化』64号特集、リサイクル文化社)、『商品選択のための環境ラベル』(共著、日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会環境特別委員会)、『21世紀の生活者像と食品産業』(共編著、サイエンス・フォーラム)、『廃棄物とリサイクルの公共政策』(共著、中央経済社)、『環境情報ディスクロージャーと企業戦略』(共編著、東洋経済新報社)など。