2000年9月 No.34
 

 『リスクコミュニケーションと塩ビ』をテーマに、
  横浜国大・浦野紘平教授が講演

 リスクミニマムへの「際限のない努力」こそ、コミュニケーションの基本

  

    当協議会主催の講演会『リスクコミュニケーションと塩ビ』が、平成12年8月23日、東京・千代田区の電機工業会館で開催され、PRTR(環境汚染物質の排出・移動登録制度)をはじめとする化学物質の安全管理手法や、リスクコミュニケーション手法の研究で名高い横浜国立大学工学部の浦野紘平教授が、化学業界におけるリスクコミュニケーションの必要性とその具体的手法などについて、講演されました。  

 

リスクコミュニケーションが求められる背景

  (社)日本化学会の「化学物質リスクコミュニケーション手法検討会」の委員長を3年にわたって務める浦野教授は、日本国内において早い時期からリスクコミュニケーションの必要性を訴えてきた第一人者。同検討会の研究成果については、『リスクコミュニケーションガイド』(事業者用、行政用、市民団体用の3種類)として間もなく日本化学会から刊行される予定で、今回の講演もこの『ガイド』の要点に即して、塩ビ業界、ひいては化学業界全体にとってリスクコミュニケーションがいかに重要なものかを強調した内容となっています。
 講演の中で浦野教授は、まずリスクコミュニケーションが求められる背景について、「現在日本で使われている化学物質は7、8万種類と言われるが、毒性情報が揃っていて行政が規制値を定めているものはごく少なく、企業による自主管理が不可欠な状況になっている。しかし、自主管理の基準は曖昧であり、(管理の是非についての)判断は社会に任される恰好になるため、企業は情報公開とリスクコミュニケーションでこれに対応しなければならなくなる」とした上で、特にPRTRの影響に言及。「PRTRの実施により、企業が出す化学物質の排出・移動量が県別、事業所別、物質別に国民に公表されるようになると、その物質が安全なのか危険なのかという議論が必ず出てくる。ある物質の排出量が特定地域で非常に高く出た場合、周辺住民の不安に対してその企業はどう答えればいいのか」と述べて、PRTRがリスクコミュニケーションの必要性を加速する大きな要因となっていることを指摘しました。

 

コミュニケーションを阻む「思い込み」の危険

  続いて、リスクコミュニケーションを行う上で陥りがちな「思い込み」(別掲)の問題に話を進めた浦野教授は、「最も重要なことは、すべての化学物質にリスクがあるという大前提で物事をスタートしなければならないということ。リスクとは『被害の出る可能性』であって、イエスかノーかでは割り切れない、程度の問題だ。企業は『安全なのか危険なのか』という市民の問いに対して、しばしば『絶対に安全だ』と答えたがるが、こういう答えはリスクコミュニケーションにおいては決してあり得ないことを認識する必要がある」と述べる一方、「だからと言って『リスクはゼロにはできない』と答えたのでは、コミュニケーションはそこから先に進まない。『いまの時点ではこの程度だから大きな被害は出ないと思われるが、こういう減らす努力をしている』という姿勢、ゼロにはできないが可能な限りゼロを追求する『際限のない努力』こそ、リスクコミュニケーションの基本的なカギになる」として、次のように「思い込み」の危険に対する注意を促しました。
 「自分たちに都合のよい一方的な情報だけで市民を説得しようとしたり、専門的な難しい知識を細々と並べて説明すれば合意してもらえると考えたりするのは、コミュニケーションではなく押し付けに過ぎない。また、技術者や科学者は、『化学物質のリスクは科学的に十分解明されている』とか、『自分たちは客観的にリスクを評価している』と信じたがるが、化学物質のリスクには未解明の部分が確実に残っているし、科学者のリスク評価には自分の現在の立場や価値観が必ず入ってくる。『市民や地域住民は科学的にリスクを評価できない』と考える科学者も多いが、市民の中には学習により専門的な知識を蓄積し、驚くほどの情報収集力、分析力を備えた人・団体も少なくない。そう考えると、化学メーカーが自社製品の毒性情報を外に説明する場合、自分たちの価値判断だけでやるのは非常に危険だと言える。『思い込み』の危険を免れるには、必ず外部の意見を聞くことが必要だ」

 

 

相手と同じ高さに立って話す

  具体的なリスクコミュニケーションの手法を説明した場面では、米環境保護局(EPA)が示した「リスクコミュニケーションにおける7つの基本原則」(別掲)に沿って、「我々が市民に教えてやるとか、対立する厄介な人たちだといった考えではなく、市民との仲間意識を形成することが大事」として、「相手と同じ高さに立って話すこと」の重要性を強調しました。
 「企業の損得や立場、他社との競争といったことばかり考えていると、市民の心に疑いが生じてコミュニケーションが阻まれてしまう。国立公衆衛生院が行ったアンケート調査でも、『企業は都合の悪いデータを隠している』という疑いが市民の間に根強いことが分かる。化学業界は、そういう評価を客観的に受け止め、
謙虚に人に接しなければならない。時には、市民への説明会では壇上からは話さないといったテクニックも無視できない。メディアの要望には、その意図を理解して対応すること。また、他の分野の人々や地域の自然保護団体にも目を向けるなど、全体を見渡せる視野を持って多くの人々と協調、共働することが必要だ」
 このほか教授は、企業内部の体制づくりの必要性も指摘し、トップの意識向上とコミュニケーション担当の人材育成、特に、「相手に威圧感を与えず親近感を抱かせるような女性担当者の育成が、今後のリスクコミュニケーションで重要な役割を果たすことになる」と述べました。
 さらに、注目すべき最近の大きな変化として、インターネットの広がりと政治家の変質にも言及。インターネットについては、「たった1人の人間が世界に発信した情報が企業の死命を制する場合も有り得る時代であることを認識し、上手にコミュニケーションを図っていくこと」と述べたほか、政治への対応については、「最近の政治家は、行政や企業のほうばかり向いていては国民の支持が得られないと気づきはじめた。与野党を問わずNGOの情報を重視している」として、「企業も従来のように役所だけを頼りにするのではなく、政治家、市民、マスコミも含めて情報を提供し議論するということが重要になるだろう」との考えを示しました。

●リスクコミュニケーションにおける思い込み

・詳しく説明すれば合意が得られる
・たくさんの情報を提供すれば理解が深まる
・化学物質のリスクについては科学的に大部分解明されている
・専門家は科学的、客観的にリスクを評価している
・環境NGO、地域住民は科学的なリスクを理解できない
・ほとんどのマスコミ情報は信頼できる
・化学物質は危険なものと安全なものに2分される
・化学物質のリスクはゼロにできる

 

●EPA(米環境保護局)が示したリスクコミュニケーション
 における7つの基本原則

・公衆を正当なパートナーとして受け入れ連携せよ
・注意深く立案し、その過程について評価せよ
・人々の声に耳を傾けよ
・正直、率直、オープンであれ
・他の信頼できる人々や機関と協調、共働せよ
・メディアの要望に応えよ
・いたわりの気持ちを持ちつつ、明確に話せ

 

[プロフィール]浦野 紘平(うらの こうへい)

昭和17年東京生まれ。東京工業大学大学院修了。工学博士。通産省公害資源研究所(現資源環境技術総合研究所)研究員、横浜国立大学工学部助教授を経て、昭和62年から同大学工学部物質工学科教授(環境安全工学研究室)。環境庁や自治体で環境関係の委員・理事等を務める傍ら、平成9年には自ら提唱、組織した(社)日本化学会の「化学物質リスクコミュニケーション手法検討会」委員長に就任。環境NPO「エコケミストリー研究会」代表としても精力的な活動を行っており、PRTRの対象435物質の毒性情報を特A〜Eまでのランキングで表示している同研究会のホームページ(下記)が、関係者の話題となっている。主な著書に『水質汚濁・土壌汚染』『地球大気環境問題とその対策』『環境監査実務マニュアル』『みんなの地球』など。

[エコケミストリー研究会ホームページ]
 http://env.safetyeng.bsk.ynu.ac.jp/ecochemi/