2000年9月 No.34
 
《特別寄稿》
 
化学物質の安全性情報について

  健康・環境における「保護の水準」の整合性

 

 国立医薬品食品衛生研究所 大竹 千代子

●はじめに

 
  化学物質の安全性に関する研究、データの蓄積、リスク評価、リスク管理はこの20年 間、とりわけUNCED(環境と開発に関する国連会議、1992年ブラジル)後の後半に充実してきました。それらの情報の流通も、インターネットの普及とともに飛躍的に量も増大し、スピードも加速しています。そして、研究が進み情報が多くなってくると、また新しい、さらに深い問題が生じます。それは製品・商品として利用される化学物質が、個人と社会に恩恵をもたらすとともに、大小さまざまな有害性をも持っているという両面性の所以です。有害の可能性が疑われた場合、何の恩恵も与えない物質に対しては、総意の下に排除することができますが、「恩恵の重さ」と「有害性の大小とその不確実性」のバランスゆえに、いちがいに排除できない化学物質が非常に多いのが現実です。
 

●毒性試験とリスク評価

 
  化学物質の毒性試験は、インビトロ(試験管レベル)、インビボ(実験動物レベル)に加え、新たにインシリコ(コンピュータレベル)の時代に入ったと言われています。そして、今後も、疫学調査や職業暴露以外に、突発的な事故を除いて、人における直接的な毒性情報は得られないでしょう。リスク評価のために必要な情報は、やはり動物試験結果と人の代謝メカニズムの違いなどを考慮しながら外挿する方法(ある範囲内のデータから、範囲外のデータを求めること)しかないのか、あるいは動物保護のために動物試験もままならず、これまで蓄積してきたデータを駆使してコンピュータ上で人への影響を推論する方法が主流になるのか、分かりません。いずれにしても、外挿や推論の仕方は、そのモデルの立て方によって異なりますし、用いる条件や数値によって評価結果は異なります。そこに、「それは科学ではない」と言わしめる「不確実性の問題」が起きてきます。「人に対する安全性情報は、不確実性を含んでいる」ことを忘れてはなりません。
 

●不確実性の問題

 

  「不確実性」はいろいろな局面にあります。
 一つ目は化学物質の安全性情報が揃わない、つまり信頼のおける情報がない場合です。リスク評価情報が揃っている化学物質は世界全体でもせいぜい2,500物質ぐらいだろう、と言われています。身の回りにはおよそ8万近くの化学物質が使われているのに、です。
 二つ目は、毒性情報があった場合でも、その実験方法が正確であるか、あるいは結果の検討・検証が十分行われて信頼できるか、という不確実性が伴うことです。
 三つ目は、信頼がおける研究結果が仮にあったとして、先ほども述べたように、動物実験結果から人への外挿が現実に即しているのか、メカニズムが解明されてないので理論的な裏づけができないのではないか、などの不確実性があります。
 最新の科学の粋を集めても、大筋は間違ってはいないでしょうが、本当のところは誰にもわからないかもしれないのです。たとえば、ポリ塩化ビニルに使用されているDEHP(フタル酸ジ2−エチルヘキシル)は、1982年にNTP(国家毒性計画)などの研究結果で、げっ歯類の肝臓に腫瘍を起こすと報告され、IARC(国際がん研究機関)により「ヒトに対して発がん性の可能性がある」とされてきました。しかし、その後の研究が進み、げっ歯類とマーモセットや人との種差などから、「ヒトに対する発がん性について分類できない」と変更された例もあります。

 

●閾値のある化学物質と放射線の安全性

 

  閾値のある化学物質の安全性は、これまで不確実係数(安全係数)として、10(種差)×10(個体差)の100が多用されてきました。近年、毒性の影響は、物質の毒性と暴露量だけでなく、血液中の濃度が注目されてきており、たとえば肝臓による解毒作用の働く種では血液中の濃度が低くなり、毒性が現れにくいことがわかってきました。その結果、これまでは、人の健康をより安全な方向の保護する側に寄りすぎていたのではないか、という批判が一部にあります(一方で、動物と人との間の外挿に用いる基礎のデータを、無影響量から、最小影響量に代え、より高感度で高精度の試験法をとりいれ、予想できなかった低濃度での軽い影響も考慮に入れようという動きもあります)。
 また、放射線はこれまでいかなる低い被爆でも、将来、がんの危険性を増大させる、という考え方でした。これも、「ゼロリスクに近い保護」を求めるために、さまざまな放射線防護措置が矛盾を含み、経済効率を著しく悪くしているという批判があります。
 このように、化学物質の情報が今よりずっと少なかった時代に設定されたルールは、情報が少ないがゆえの不確実性から「リスクを高めに見積もって安全側にシフトさせる良心的な原則」もあったのではないかと考えています(利害が著しく対立した公害などは、別の歴史的、社会的、経済的原則が作用していて、この限りではありません)。

 

●予防原則の適用

 

  「安全側にシフトさせる原則」は、化学物質を提供する側には不満があったかもしれませんが、消費者、利用者、労働者にとってはより安全な保護が受けられることになりますから、非常に意味があったと思います。この原則は本質的には「予防原則」とは異なりますが、結果的に両者は極めて近い効果を生みます。前者は「量的に安全サイドに寄せ」、後者は「時間的に安全サイドに寄せる」と言っても良いかもしれません。そうして、前に述べましたように、前者は、いまその見直しが始まっています。世の中全体が、もっと厳密に科学的な情報に基づいた化学物質管理を要求しているのです。
 その結果、化学物質によっては基準がこれまでより甘くなってしまうものもあれば、厳しくなるものもあるでしょう。どちらであっても、科学的方法が明らかにした事実は、受け入れざるを得ません。
 「予防原則」は、欧州ではノニルフェノールや可塑剤の使用制限決定の際の、純粋な科学的データとともに、重要な柱のひとつになっています。
 しかし、今後、物質によっては、データがそろい、安全性が確認されて、再び、規制が解かれることになる物質があるかもしれませんし、さらに制限が厳しくなるものもあるかもしれません。それも科学の進歩のなせる技です。確実な科学的証拠が見出せなくとも、疑わしい化学物質に網をかける「予防原則」は、科学的方法による新しい証拠が認められれば、制限や規制を変更する約束も含んでいるからです。
 EUでは、今「予防原則」を化学物質管理の中に組み込ませようとしています。この動きは、化学物質がもたらす便益に加え、リスクの疑いが大きなウェイトを占め始めた、新しい概念の毒性、「微量でしかも、胎児の発生・成長過程の重要な時期に影響する内分泌かく乱作用」と無関係ではありません。この作用は、内分泌系に広くあらわれ、疑われている物質数は多く、いわゆるこれまでこの種の毒性を持つ、と認識されなかった、大量消費の物質が多く含まれているからです。
 それと同時に、産業界が早めに「予防原則」の枠組みを明らかにしておいたほうが、NGOなどによる、ともすると感情的かつ理不尽な「禁止」に歯止めがかけられるのではないかという意図もありました。内分泌系に対する毒性の試験法の開発、毒性の研究、体内での作用メカニズムの解明、環境への影響、人への外挿、どれをとってもまだやるべきことが山積し、いつになったら結果がでるのか、気の遠くなる話です。結果が出てからでは遅すぎるのではないかと、良識ある人なら誰もが考えます。そのような場合に、法的に科学の不備や不確実性を補おうというのが「予防原則」の考え方です。
 人の健康と環境の保護のための化学物質管理には、科学の方法だけでは必ずしも万能ではないことを、この「内分泌かく乱物質問題」は改めて私たちに教えてくれています。

 

●リスクの高い集団の保護水準の確保

 

  EUの「予防原則」の文書を読みますと、「これまでのEUの保護の水準に見合うもの」 という表現が多く出てきます。これは、EUがどのくらいの安全程度で域内住民の健康と環境を保護するか、という水準のことです。「リスクがゼロを保証できる水準」でもないし、「高濃度のダイオキシンにさらされる水準」を放置しない、EUがこれまで人の健康や環境を保護してきた水準であることを、そのコミュニケははっきり語っています。私たちは、この便利な暮らしの中で、健康と環境に対してどのような「保護の水準」を容認し、さらに高い文化水準に合わせて「健康と環境の保護水準」をどこまで追求をすればよいのでしょうか。安全性は、まさにどの程度の「保護の水準」を設定するか、によって異なるのです。安全性は、化学物質の固有の毒性(ハザード)や暴露量(あるいは血液中の濃度)だけでは決められず、社会の「保護の水準」が重要な鍵になるのです。
 ダイオキシンを例にとれば、日本における母乳中の総ダイオキシン濃度は、他の「保護の水準」に見合うものでしょうか。答は「ノー」です。食品添加物や残留農薬の一日の摂取量にしても、現実は個々の食品ごとにADI(一日許容摂取量)あるいはTDI(一日耐容摂取量、農薬はTDIであるべきです)の数%に、一日全体でADIあるいはTDI以下に抑えようとしています。ですが、乳児が母乳から摂取するダイオキシン量は、大人のTDIの数倍、高い場合は数十倍です。最近のアメリカにおける子供のための農薬に対する不確実係数を用いるなら、大人のTDIにさらにおよそ10くらいを考慮しなくてはなりません。そうすると、他の化学物質の「保護の水準」に比べ、ダイオキシンは、時には「数百倍も劣る保護水準」を乳児に強いていることになります。「乳児は最大1年しか母乳を飲まないから」という理由は許されません。母乳の効用があればこそ対策を打つべきなのです。
 「PCB汚染のひどい地域の魚を食べる人はやむをえない」「ダイオキシンの高濃度の土壌地域に住むのはやむをえない」という、例外は許されないのです。「保護の水準」は国民に公平でなくてはならないものです。そのために基準があり、規制値があるのですから。そして、国の「保護の水準」は、ある意味では誰もが達成できる「最も低い水準」と言うこともできます。より高い水準を求めて、自分や家族と環境を保護する方法は自ら選び取らなければならないのです。また、制度として、選択できるシステムの構築を行政も消費者も努力しなくてはなりません。

 

●おわりに

 
  これまでの社会では、化学物質の有害性とその影響の因果関係が証明されないと、基本的には対策が行われませんでした。しかし、特に、子供や出産予備軍の若い人の内分泌系に影響を与えると考えられている化学物質については、現在、世界中で研究が行われている最中で、結果が出るのはまだ先です。相応の「保護の水準」を維持するために、科学的な方法で明らかにされた事実を認め、たとえ因果関係まで科学的に証明されていなくても、いくつかの推測できる証拠と、今規制したほうが結果として経済的にも効果があるのであれば、「予防原則」に基づいて、早めに手を打つ方法を政府にも企業にも要請したいのです。企業にとっても、不買運動で製品が市場から締め出されるよりも、政府や国民(消費者)とともに合意して予防的に手段を講じたのであれば、企業や業界のイメージも上がり、今後の経済活動にプラスになるに違いありません。これからの社会では、そのように消費者とともに安全性確保に努力する企業を、消費者は高く評価するでしょうし、評価すべきであると考えています。
 

 

■プロフィール 大竹 千代子(おおたけ ちよこ)
 東京都立大学理学部化学科卒業後、(株)資生堂研究所勤務を経て、1991年から、国立医薬品食品衛生研究所化学物質情報部勤務、および東洋大学短期大学非常勤講師。環境情報の普及、環境教育に努める傍ら、化学物質の安全性情報の収集・提供に携わる。その情報収集量の豊富さは国内でもトップレベルと評価される。
主な編・訳・著書
編集「正・続 日本環境図譜」(共立出版)
共訳「地球の化学汚染UNEPレポート」(開成出版)
著書「生活と科学」(開成出版)、「生活の中の化学物質」(実教出版)、「身近な危険 化学物質を知ろう」(小峰書店)、「海辺のペレットをさがして」(小峰書店、9月刊行予定)ほか