1997年3月 No.20
 
環境社会学とは?

  研究室から現場へ『行動する社会学』の役割

 

 東京都立大学人文学部教授 飯島 伸子

●伝統的社会学と環境社会学

 
  環境社会学という新しい学問を理解していただくためには、まず社会学とは何かということから申し上げなければなりません。社会学とは、一言で言えば「人間の共同生活、人間の社会的行為に関して研究する学問」のことです。複数の人間が共同生活していく中から発生するあらゆる現象を研究、分析する −これが社会学の目的なのです。
  ところが、伝統的な社会学では、「社会学とは人間の社会的、文化的環境(集団や規範、人間相互の社会的関係、教育や宗教など)に関する学問である」という狭い定義づけが、ずっと長いこと守られてきました。
  このため、自然環境や物理的・化学的環境、あるいは人間が作り出す社会的な災害、例えば汚染や公害と人間社会の関係を研究するという視点は意識的に排除されてきましたし、また、そうしたことのできる態勢にもありませんでした。
  これに対して、環境社会学は人間社会の社会的、文化的環境だけではなく、その生物的、物理的、化学的環境にも目を向け、むしろそれらを主要な対象として、人間社会との相互関係を解明することを目的としています。つまり、従来の社会学が持っていた自己抑制的な側面を解き放ち、生物的、物理的、化学的環境を主要なターゲットに取り込んだこと、そこに環境社会学の新しさと存在意義があると言えるでしょう。
 

●現場にこだわる実証的研究手法

 
  環境社会学の最大の特徴は「行動する学問」であるということです。これまでの社会学では、『対象と関わることなくニュートラルであれ』、つまり『傍観者であれ』ということが研究上の基本的な姿勢とされがちでした。私も学生時代にはこの考え方を教え込まれたものですが、環境問題を含んだ社会問題は、『ニュートラルな第三者』ではとても研究し切れません。感情的にのめり込む寸前まで対象に肉迫しないと、本当の意味での環境社会学の研究はできないのです。
  なぜなら、私たちはある社会的現象を分析して提示するだけでなく、そこに問題がある場合「どうやれば解決できるのか」という解決策までも提示すべきであると考えるからです。
  例えば、ある地域である企業が使用する化学物質が有害だと判明しても、住民は地域の事情や人間関係から正面きって反対できない、問題があるにもかかわらず先に進めない。こうした問題をどう解決したらよいかを考えるのも環境社会学の範囲に含められるものであり、時には企業や行政の行動を抑制する解決策を考えざるを得なくなる場合も出てきます。
  これは従来の社会学からすると限りなく逸脱した行為と言えます。つまり、従来の社会学が『研究室の中から腕組みして対象を観察し、分析結果をお説教する学問』だとすれば、環境社会学は自ら現場に出て行き、現場から実証的なデータを積み上げ、ときには住民の人々と一緒に考えたりしながら、それらを総合的に分析・研究することで問題の解決法を考える学問だと思います。私はそのようにありたいと願って研究を続けてきました。
 

●地球環境問題の議論は慎重に

 
  環境問題の研究は、一見、自然科学や法学、経済学など他の社会科学のアプローチのほうが理解されやすいし、解決策を提示するのも、そうした分野の研究のほうが適切と思われるかもしれません。しかし、環境問題がそもそもは人間集団の存在そのものが作り出したものである以上、本来は社会学こそが研究の対象としなければならないテーマであるはずで、問題の発生原因とその解決策を解明する点において環境社会学ほど適切な学問はないとさえ私は考えています。
  ブラジルや東南アジアの森林破壊問題にしても、開発企業の行動や現地社会のさまざまな階層の人々の利害に発する社会的な行為が複雑に絡みあっています。ですから林業や自然環境の問題としてだけでなく人間の社会的行為という面からも分析していかないと解決法の糸口はみつかりません。
  ただ、研究手法の点で注意しなければならないことは、いきなり地球環境問題といった議論から入っていくと誤りを犯す危険性が大きいということです。地球環境問題というテーマは、コンピュータを駆使してデータを分析しても容易にその全貌を把握することはできないほど深遠広大であり、かつて『成長の限界』で地球環境問題に警鐘を鳴らしたローマ・クラブの同じ筆者たちが、その後に著した『限界を超えて』で前著の発言を大幅にトーンダウンしなければならなかったことを見ても、地球環境に関する議論は慎重になされる必要があり、大理論は特に自制的になされる必要があると思います。
 

●細部にさえも神は宿る

 
  では、環境社会学は環境問題にどう切り込んでいけばよいのでしょうか。私はそのヒントを「細部にさえも神は宿る」というヨーロッパの古い格言に求めたいと思います。つまり、日常的な細部から全体を見通す姿勢、いきなり地球環境問題を扱うのでなく、地域や現場から積み上げたデータを通して地球環境を見つめていくことが大切だということです。社会学の枠組みで言うならば、「中範囲の理論」が有効なアプローチのヒントを与えてくれます。
  私は現在、いくつかのプロジェクトのひとつとして都立大の都市研究所の共同研究で産業廃棄物の問題を調査しています。産廃処理の問題は今や日本全体を汚染しかねない重大な問題となっていますが、調査して分かるのは、廃棄物処理を管理監督する自治体さえも、多くの場合その実態さえ正確には把握していないという恐ろしい状況にあることです。
  この問題を解決するためには、自治体、特に市町村の役割が非常に大切であり、市町村がまず率先して状況を把握して対応策に着手していかなければなりません。国や都道府県は命令するばかりでなく財政的にも人的にも市町村を応援すべきだと考えます。
  また、消費者ももっと積極的に対応していけないものかと思います。消費者、住民が行政に参画して相談していく体制を作るために何ができるか、行政は真剣に考えるべきです。
 

●地域、企業の中の「個人」の役割

 
  むろん、環境問題の中では企業の責任と役割も重大です。組織として責任ある行動をとることで、地域の人々が企業を見直しその評価も上がります。これからの企業は、地域住民による精神的評価、文化的評価が財産となるように努力すべきで、その一環として環境にどれだけ貢献しているかを厳しく自己認識しなければなりません。これからはそういう時代になると思います。
  行政と産業、住民とが一体となって地域を再生し資源をリサイクルする取り組みを、もう始めなければなりません。そういう取り組みをすべての地域で進めることで日本ははじめて資源再生大国となり得るのです。プラスチック業界の方々も真剣にリサイクルに取り組んでいただきたい。塩ビを含めプラスチックのリサイクルが進めば、公害問題も減少し資源の節約に大きく貢献できると思います。 環境問題というのは、突き詰めて行くと個人の資質が重要なポイントになってくることが分かります。足尾銅山事件における田中正造の例を引くまでもなく、企業や地域の中に良質な個人がどれだけいるかで状況は大きく変わってくるのです。
  そうした個人が育つための方向づけ、ひいては社会全体の意識変革の方向づけのためにどんな解決方法を提示できるのか、環境社会学の最終目標は一にその点にかかっていると思います。
 
■プロフィール 飯島 伸子(いいじま のぶこ)
 1938年生まれ。1968年東京大学大学院社会科学研
 究科博士課程修了。東京大学医学部助手、桃山学院大学社会学部教授を経て、現在東京都立大学人 文学部社会学科教授。文学博士・日本環境会議理事。1992年に創立された環境社会学会初代会 長を務める。主な著書に、500年間にわたる日本の公害や労働災害の社会史を編纂した『公害・ 労災・職業病年表』およびその英訳版『Pollution Japan−Historical Chronology』のほか、 『環境問題と被害者運動』『髪の社会史』『環境社会学』(編著)『環境社会学のすすめ』などが ある。