1993年6月 No.5
 
正しく情報を伝えてこそ、真の理解が得られる

 

 

 慶應義塾大学教授 石井 威望

  わたくしと塩ビの関係は、かれこれ40年以上前にさかのぼる。当時医学部の一年生であったわたくしは、大学の有機化学の授業で、「最近、すごい物質ができた。化学的にこわれにくく強度もある“塩化ビニール”という素材だ。水をかけても一振りすると全然濡れていない。医療の分野でも活用できよう」と薬学部の落合教授が目を輝かせて力説されたのを鮮明に記憶している。この記憶は極めて印象深く、いまだにその時の先生の表情や教室の様子がまざまざとよみがえってくる。まだ化学物質そのものが世間に出回っていないのに、わたくしは塩ビという物質の名だけは憶えこんでしまった。
  後になって知ったのだが、塩ビは原料や製法面でも経済性に優れている物質であるということである。このような素材であるため急速に広く普及し、現在のわたくしたちの生活にはなくてはならないモノとなった。
  だが、塩ビはわたくしたちの生活に定着したにもかかわらず、塩ビが酸性雨やダイオキシンの発生源であるというレッテルが張られた時期があったのはなぜなのか。情報の普及拡大とともに、情報そのものが自ら発した情報に影響を被った事例といえよう。
 

●高度情報化社会へのパラダイムシフト

 
   塩ビと同様に、テレビも実用化して約40年がたち、家庭にもビデオが普及し、個人生活のなかで映像は欠かせないものとなった。以前から日本人には記念すべき瞬間を写真におさめる習慣ができており、カメラが日常生活に浸透していたから、静止に限らず動く電子映像をスンナリと受け入れる素地があったといえよう。
  その結果、1988年ごろから急速に家庭にまで普及していった小型ビデオカメラの爆発的ブームへとつながった。もちろん、その陰には、半導体や精密機械、オプトメカトロニクスの技術革新と技術融合という技術進歩が存在することを忘れてはならない。このブームを経て、画像通信の拡大と個人所有比に拍車がかけられ、情報化社会の新しい幕開けとなったのである。
  製造業中心の工業化社会では、経済活動における尺度はもっぱら重量などの「量」を中心としたものであった。このような時代には、人々の生活に及ぼす「情報」の価値はきわめて小さかった。しかし情報や知識の価値が高まってきた現在、むしろ経済活動に占める情報の「質」が企業の存続を左右している。
  このような高度情報化社会では、情報を創造し、それをいかに活用するかが決め手となる。この新しい情報化社会の到来をまざまざと見せつけられた最近の例は、湾岸戦争であったと思う。中東から送られてくる映像を見ながら、ホワイトハウスで作戦指示が即座に出される。リアルタイムに情報を入手できるスゴサ、その影響力を、このときに実感した人は多かったに違いない。情報のレベルでは、世界のどこにいても映像を見ていた人は、まったく同じ立場であったということである。
  だが、情報という観点に立てば、戦争に限らず、このような技術は産業さのものに大きな影響を与えている。
  たとえば、漁業では人工衛星から海流の温度分布を見て、魚の種類と漁場を判断している。その一方で、市場動向も見ながら、捕獲した魚をどこの港へもっていくかを決めている。これは、捕るという行為だけをみていると漁業だが、全体のシステムは情報産業ともいえる。このように、情報とくに映像情報が、あらゆる分野で重要な意味を持ち始め、ついに「映像情報」が決定的になってきており、産業構造さえも変化させてしまう程である。
 

●映像情報という落とし穴

 
  「音」が主体であったころの情報は、たとえば電話にしても文字・数を伝えることが精一杯で、イメージが湧きにくかった。そこへ「映像」という情報が言葉のカベを飛び越え、わずか何秒からの映像でも忘れがたい強い印象を与えることになる。この情報が、全体のなかのごく一部でしかないにも関わらず影響力は絶大だ。まさに、文字や数字のような理性のチャンネルを介するのではなく、わたくしたちの感性や情緒のチャンネルにストレートに訴えてくる。
  1980年に出版された政府刊行物(首相私的諮問委員会「科学技術の史的展開」研究報告)で初めて提唱された“ホロニック・パス”とは、たとえば日本型生産システムの自律分散的な構造に見られるアプローチ法である。一般に、ホロンとは全体(ホロス)と個(オン)の調和関係であり、工業化から情報化へと移行するパラダイムシフトと密接に関係している。多数の異質な個の集まりにもかかかわらず、自律的で調和のとれた状態を実現するためには、部分である個に、全体の状況を表す情報をいかに伝えるかが重要な問題となってくる。「映像情報」はその解答であるとも考えられる。
  一般に、映像情報が適切に提供されるならば、情報の受け手側は多数の情報から「事実」が何であるか、真実と誤りを認識しながら、実態を把握していくことが容易になる。だが、文字や数字の情報だけをたよりに考えることになれば、情報受信者はなかなか全体のシステムがわからず混乱を引き起こしやすい。一部の偏った情報だけですべてを判断してしまうことにもなりかねない。
  情報を提供する側も、この辺を理解していなければならない。とくに、現在のような高度情報化社会への過渡的においては、情報を受ける側の環境を十分に考慮しなくてはならない。
 要するに「文字・数」などの理性的倫理的情報のほかに、「映像」という感性的な情報を加えて両方のプロセスを融合してはじめて、バランスのとれた「情報」が会得される。
  このような見方からすれば、環境問題も情報の提示の仕方に大きく影響されている。湾岸戦争のときに、原油まみれの鳥を見て心を痛めた人も多かっただろう。環境破壊への墳りを覚えたにちがいない。しかし、あまりに鳥への憐れみの情に溺れると全体のことが見失われる危険もある。
  ホロニック・パスのようなアプローチが必要であるゆえんである。
 また、世界的混沌といわれる時代に、日本の企業ならびに世界の技術開発能力が問われている。つまり、創造的なモノづくりである。21世紀に日本がどのような社会になるのか、それを見据えた目標が企業にも個人にも必要である。いままでのモノづくりに専念してきた日本企業の実績が、これからの地球環境保全へ具体的な前進をはかる場合不可欠である。企業の役割がますます大きくなるに伴い、一段と技術革新に傾注し、明日へのチャレンジを心がけなければならない。
  これからの地球環境、ゆたかな日本社会構築にむけて、先進的にリサイクル活動を推進しておられる貴協議会のご活動に大いに期待したい。
 
■略歴 石井 威望(いしい・たけもち)
  1930年生まれ。東京大学医学部ならびに同大学工学部卒業。通産省、東京大学工学部講師、助教授、教授を経て、現在は慶應義塾大学環境情報学部教授、東京大学名誉教授。専門はシステム工学、管理工学、情報理論であるが、科学技術論においても造詣が深い。『“世界的混沌の時代”と日本』(PHP研究所)、『科学技術は人間をどう変えるか』(新潮社)、『情報社会は墨絵の心』(日本経済新聞社)など著書多数。東京ごみ会議の委員もつとめられている。